白の紙  下


 それから一週間。ルックの記憶は未だ戻っていなかった。

 ルックは日々本拠地を回ったり、ベオークをのしたり、本を読んだり、ベオークをのしたり、魔法兵団に顔を出して歓喜されたり、ベオークをのしたりして過ごしていた。

「…そろそろ、やばい?」

「やばいですね」

 シュウは内心、まともに仕事をこなすヴァーリを見る自分の胃もやばいと訴えたかった。平時との差が嵐の前の静けさのように思えて結局胃を痛めるのはなんとも切ない。

 それを見抜くヴァーリは鼻で笑って、その後ににっこり笑って答える。

「さすがにね、重役の一大事だし。これがビクトールとかなら元から大して仕事してないし違うんだけど、ルックだし。遊んでられる状況じゃないでしょ?それくらいわかってるよ」

「…そうか…」

「僕は遊べる分には力いっっっっぱい遊ぶけど、それができる時とできない時の区別はちゃんと付けるよ」

「…できれば普段から、きちんと仕事をして欲しいものですが」

「ばっかだなぁシュウは!!」

「ぐっ…」

 幾度言われたかは知れないが、シュウはこれに未だ慣れない。

「シュウが自分で『お飾りでいい』って言ったんじゃないか。仕事してるだけでもありがたく思ってよ」

「…………」

 これ以上話せることはないと、シュウは無理矢理話を戻す。

「それで、魔法兵団ですが…」

「副団長と事務要員がおくすり片手に死にかけてるよ。パンク寸前」

 こうなってみて、普段のルックの仕事量には舌を巻く。副団長には魔法兵団長の印を渡してあるが、それでも判断の付かないものは後回しだ。終わらない仕事の上に更に新しい未決の書類、書類、書類。

 ガタッ

 その時、執務室の戸が開いた。

「…っ!?どうした!」

 シュウが声を荒げたのも仕方がない。現れた魔法兵団の事務員は戸によしかかり漸く立っている。当然の如く顔は青い。

「…っぁ…どうか…どうかあの方をぉ…!!もう…限界…で、す……」

 言い終えると、その男は気を失うように地に体を投げ出した。

「おい…!」

 慌てるシュウとは裏腹に、男は何日かぶりの睡眠を貪っていた。

「…放って置いたら、死人が出るね」

「……仕方ない。この事態を引き起こした張本人にどうにかしてもらおう」







 ピンポンパンポーン

『ベオーク・マクドール様、ベオーク・マクドール様。至急執務室までお越し下さい。3分以内にいらした場合、彼の写真をプレゼントします』

 ピンポンパンポーン

「…私の時と、随分態度が違うようですが」

「だってベオークさんに通じないし。ルックの写真が一番効果的」

 放送からそう経たない内に、バンと音をたたせながら執務室の戸が開かれた。

「やぁヴァーリ!今回はどんなのだい?」

「ベオークさん。えーとこれです。最近のルックで纏めてみました」

「ああ、やっぱり腕がいいね!」

「ネガは10000ポッチです」

「いただこう」

 写真を堪能しながらヴァーリとの取引を済ませ、漸く本題に入る。

「ベオークさん、最近のルックをどう思いますか?」

「かわいいね!」

 笑いつつも即答。しかし、いつものルックを語るような勢いはない。

 ベオークは笑みを引っ込め椅子を引き寄せ座る。

「でもね、やっぱり漢らしいルックがいいな。エルボーかまして僕を見下しながら暴言を吐きつつも、1ミクロンくらい僕を頼りにしてくれている、あのルックが…」

 マゾヒストかと疑いたくなるような物言いであるが、ベオークは(少なくとも)ルック以外にはサディストだ。そうとは悟りつつも、目の当たりにすると引き気味になるヴァーリである。しかしそれをおくびにも出さずにこにこと話を
続ける。

「ベオークさんがルックの記憶が元に戻ることを願っているように、ボク等も切実に願っています。魔法兵団がやばいので」

「ルック一人仕事しないだけでもうそれかい?ルックの優秀さは言うまでもないけれど、ちょっと情けないよね?」

「ルックが凄すぎるんですよ。それはご存じでしょう?」

「もちろん。ようするに、ルックの記憶をボクに戻せって言っているんだろう。近付く瞬間に攻撃を受け気絶しまくっている、この、僕に」

「威張るところじゃないですよ」

「記憶喪失ルックは容赦がないんだよ。反射らしいから、力加減なんてしてないし」

 そう言って項をさする。どうやら手刀を喰らったらしい。その他にも頭にはたんこぶがあるし胸には足の形の痣がある。背中には両足だ。細かい傷は数えきれない。

 ヴァーリは目を大きく開き、だがトーンを変えずに尋ねる。

「…いつものルックって、手加減してるんですか?」


「そりゃあ、抵抗しないって分かっている人物に全力出すほどルックは非情じゃないよ」


「なら行けますって!!」

 急に立ち上がってヴァーリは力説する。

「ルックがベオークさんに欠片でもプラスの感情を持ってたんだったら、今までみたいに抱きつこうとするんじゃなくて優しく接してみれば今のルックならどうにかなりますよ!」

「…ルックの僕に対する評価の考察、随分酷いね」

「とにかく、今のルックには刺激が必要なんですよ!いつもと違うこと!衝撃!そしてさっさと記憶を戻させて下さい」

 椅子にドサと座り直し、頑張って下さいと頷く。その瞳に込められた意志は「魔法兵団やばし」と煌々と燃えさかっている。

 ベオークはベオークで、確かにそろそろ戻って欲しいと思っていたのだ。1週間経ったし、そろそろ頃合いかも知れないとヴァーリの誘いに乗ったのだった。

 室内ながらもどこからか吹く風に髪をなびかせながらベオークは執務室を後にした。

 そこで、漸くシュウが口を開く。

「…あれで大丈夫なのか?」

「あれ?シュウいたんだっけ」

「ずっとおったわ!」

「存在感塵ほどにもなくて忘れはててたよ」

「……っどこに口を挟む隙間があったーー!!!」

「あは、シュウ馬鹿みたい」

 軍師はいつもの如く撃沈した。








 執務室を後にしたベオークは、ここ一週間ばかりの自分の行動とルックの様子を思い出していた。

 確かに、ヴァーリの言うとおり同じ事しかしていない。勢いのあるスキンシップをしようとしてことごとくルックにやられている。だが、そのルックの行動が反射であるのなら、羊の皮を被った狼の如く近寄れば容易く接近できるのではないだろうか。

 今のルックには、記憶がないのだから。

 ベオークの疎ましく思う気持ちも覚えていない。…感覚としては残っているようだが、記憶のないルックはしおらしい。紳士に振る舞えばそれなりの対応は望める。

「…行くか」

 舌なめずりをしそうな笑みで、この時間ルックがいるであろう読書スポット―――池を一望できる木の下―――へ向かうのだった。







 ルックは本を読んでいた。自室にある本はあらかた読んでしまっていたので同盟軍にある図書室を利用している。なにせ時間だけはたっぷりあったので、おそらく一度は読んでいるであろう本を、知識を吸収するかのように貪欲に読み漁っていた。

 充実した日々。そうであるはずなのに、ルックは物足りなさを感じていた。いつもこなしていた大量の書類仕事をしていないからか。魔法兵の訓練につき合って魔力を消費していないからか。

 何れにせよ、今のルックにできることなどたかが知れている。自分を知る人物、軍の重役になど一応聞き込みはした。「ルック」とはどんな人物だったのかと。しかし、返ってきた答えにピンとくることはなかった。大体同じ様な答えだったので嘘を付かれたとは考えにくいが、彼等の回答が記憶の回復に役立つとも思えない。そうなると、どうしたらいいのか分からないのだった。

 本のページを捲ったとき、遠くから聞き慣れた声が聞こえた。

「ルックー!」

 その声があまりに遠くから聞こえたので、反射的に顔を上げたもののそれだけに留まった。見れば、前方から歩いてくるベオークが見える。

 いつもなら、走り駆け寄ってくる。迷惑極まりないことに、飛びつこうとしてくる。その様が、あまりにも不自然で怪しい。しかし、記憶のないルックは清らかだった。

「ベオークさん、どうかしたんですか?」

 そう小首を傾げて尋ねたところで、ベオークがルックの前に辿り着いた。

「ちょっと、話がしたいと思って」

 隣いい?と許可を取ってからゆっくりと緩慢な動作で腰を下ろす。

「それで、どうかし…」


「好きだ」


「え?」

 ぽかんとした顔をするルックとは裏腹に、真剣な眼差しでその緑を見つめる。

 普段のあまりのありように忘れられがちであるが、ベオークは整った顔立ちをしてる。黙っていればの条件が付くように、真面目な顔をしていれば傍目から見ても格好いいと言われる容姿だ。それに、清いルックはドキリと心拍数が上昇するのを感じ取る。…実際、内心ベオークの考えていることと言えば「衝撃」とか「刺激」とか記憶を戻すためのキーワードであり、ルックが近くにいる、ああ久しぶりだな、触りたいな、とかいう不埒なことだったりするわけであるが。

「あの」

「愛している…」

 そう言って、ベオークは唇を寄せる。

 今ベオークは、記憶どうのうよりも目の前のごちそうに「据え膳食わねばなんとやら」とルックをお手つきにしようとピンクい妄想を繰り広げていたりする。

「ふっ………」

 ルックがベオークの片腕に縋り、ぎゅと掴む。そして、



「ふざけんなぁぁあっ!!!」


 勢いよく英雄の体を投げ飛ばした。

「ぐっはぁっ…!」

 宙に浮いた体が地に落ちるのを見届けてから、ルックはふぅと息を吐き出した。

「危ないところだった…」

「もう少しだったのに!」

 大の字に飛ばされてから上半身をむくりと起こし叫ぶ。

「はぁ?」

 それに記憶の戻ったルックは青筋を立てて睨み付ける。しかし、その口元には笑みがあった。

「僕の記憶がない内に、何をしようとしたのかなこの英雄は」

「ルックにキスを…」

「トラン建国の英雄は、無抵抗なら頂いちゃうほど躾がなっていないのか?」

「据え膳食わねば男の恥!」

「どこが据え膳かぁぁあぁぁあぁ!!!」

 今日もベオークはアッパーを喰らうのだった。

 数秒後、大きな水柱が上がる。









「なんだこれは!」

「は!我々では処理できなかった書類であります!」

「もう少しどうにかならなかったのか!」

「イエス・サー!我々の処理能力が到りませんでした!」

「急ぎの重要書類は何枚だ!」

「は!21枚です!」

「溜めすぎだ!とりあえず僕が仕事をするスペースを確保しろ!」

「イエス・サー!!」

 魔法兵団執務室は白く染まっていた。紙は何枚にも積み上げられ、上空から見下ろしたビル群の如く群を成している。白紙の書類も少なくないのがなんとも痛い。

 特効薬片手に奮励努力していた副団長と事務員達はルックの帰還に涙を流して歓喜した。

 渦巻く感動に視界を滲ませながらも手を休めることはしない。ああ、これで…

「ルックー!!」

 と、思ったのも束の間の事である。

 勢いよく開かれた戸は風を巻き起こし区分されていた書類を舞い散る羽に見立てさせた。

「…………………あれ」

「……お前ぇぇええぇえぇぇえ!!!!!!」

「うわぁ許してルック!!今のは本気でわざとじゃないから!」

「わざとでたまるかこの屑が!!」

「書類手伝うから!手伝うから!」

「当たり前だこの馬鹿野郎がーーー!!」




 同盟軍は、平和です。

 …たぶん。























終わらなくて焦りました…。題名とか超適当。