僕の人生最悪です。




おとぎばなし −ルック−




 僕は僕で、僕ではないけれど、やっぱり僕だ。

 人間ではないし、野生のままの動物でもない。(でも形は似ている)

 考えることはできるし、嫌だと思う感情もある。(だから物としても不完全)

 溶液に浸かっている時、分厚いガラス越しに見えるあの研究者達の歪んだ顔が大嫌いだった。無表情に手だけを動かして、じ、と僕を見る。繰り返し、繰り返し。

 僕は何なのだろうか。どうしてここにいるのだろうか。あれらは誰で、何をしている。なぜ僕は生きている。生まれた。

 生きてなかった。

 僕は生きてなんかいなかった。ただ置いてあっただけなのだ。

 僕は生き物ではありません。器だったのです。

 溶液の中ではゴポゴポという水音しか聞こえなくて、不愉快に歪むあの口が苛立たしくてしょうがなかった。僕は言葉を持っていなかったし、ひょっとしたら、口から言葉が漏れているなんてことも知らなかったのかもしれない。ただ、「動かすな」と伝えたかったのは確か。

 僕の時間間隔が合っているなら、溶液の中で意識が芽生えてから2年くらいが経った。

 僕は慣れ親しんだ溶液から出され、重力に支配される空間に連れ出された。

 体が重くて仕方なかった。溶液の中に戻りたい。口をパクパクさせて、手を動かして僕を観察しても良い。だから戻してと、縋るようにガラスに手を着けた。

 でもそんなことはお構いなし。僕は引きずられるように別の場所へと連れて行かれた。その道すがら、本当に体が重くて、苦しくて、消えてしまいたいと思った。

 そしたらどうだ。僕は重力から解放された。全部ではなかったけれど、さっきよりずっと楽だった。でも、あれらは口から大きな音を出した。空気に漂う僕が気に入らなかったらしい。

 どうして駄目なの。

 わからない。わからないことしかない。あれも駄目、これも駄目というのなら、僕を作らなければ良かったんだ。どうしてそんな面倒したの。

 ああ、いやんなっちゃう。

 壊して欲しい。ここに置いて欲しくない。でも僕には大切な神様が保管されているから、やっぱり僕は壊されない。

 僕はもう嫌だから、別の僕を作ればいいのに。あ、でももう一つあるのか。そっちに僕が保管している神様も預けられたらいいのに。

 面倒臭い。疲れた。嫌だ。壊して。終わらせて。捨てて。破棄して。できなら殺して。

 僕は「物」だけれど。







 初めて見る人だった。

 僕が知る、人間の登場の仕方とは一致しないお出ましだった。

 その人は僕を哀れと宣った。でもそれは違う。だって、それは生きている物に対して吐く言葉だから。手を差しのばされて、分からないでいると「人になりませんか」と尋ねられた。

 人。人間。

 僕はそんなものになりたくない。

 人間というのはつまりあれらだ。あれらは嫌い。僕を壊してくれないから。

 だから手を取らなかった。そうしたらため息一つ。僕の前でしゃがんで、閉じられた目で僕を見た。

『生きたくはありませんか』

 生きる?無理だよ、それは。だって僕は物だから。物は生きないんだ。物は作られて、劣化して、捨てられて、壊れて終わりなんだ。僕は今劣化に向かっている筈。

 でも、生きられる?生まれて、成長して、老化して、死ねるの?

 僕は、死ねるの?

 知らず、その人の手を取った。






 空に出会った。

 どこまでも高くて、遠い人。でも手を伸ばさずにはいられない。

 何だこれは。何だ、何なんだ。

 目から水が溢れた。その水と同時に、心臓の辺りからも何かが溢れた。止め処ない。溢れいでる。

 初めて知った暖かい感情。これも感情?知らなかった。思いもしなかった。

 空が降らす雨は心地よく、僕はそれを全部溜めておきたかった。だからオアシスを作った。入れるのは僕と、空。

 オアシスに溺れて死にたい。

 空、空、空。僕の全てを塗り替えていく。どうしようもなく僕の全てを占めてしまった。

 好きな人。いとおしい。一緒にいたい。あいして。

 そんな夢想。

 愛さなくていい。嫌いにならないで。僕を捨てないで。壊さないで。ただ、傍に置いて。

 彼は暫く変わらなかった。僕に向ける笑顔が堪らなく眩しいだけ。

 そんな、幸せな日々。

 それが崩れた。

 空は僕を、あいしてくれた。掻き抱いて、痛いほど。苦しいくらい。肺に穴が空いてしまいそう。

 でも、僕は捨てられた。

 生きて、成長していたけれど、やっぱり僕は物だったんだ。

 壊れて、捨てられて、修理なんて出来なくて。僕を直せる技師は空だけで。

 でももう、空はどこにもいない。暖かな闇すら感じられない。

 この島に立つ、自分が不確かでならない。残された空の痕跡が僕の劣化を助長する。

 助けて。助けて。オアシスが枯れてしまう。空がいつも満たしてくれた命の水がなくなる。もう、底が見えるくらい。



 ああ、ああ、どうか。

 照り付ける太陽よ。いっそ、このオアシスを枯らして。

 じりじりと僕の背を焼いて。

 どうか生きている内に、物でないときに。



 焼き殺して。






 空と共にある日々は終わった。幸せだった。

 でもやっぱり、おとぎばなしみたいにうまくはいかない。

 













馬鹿みたいに暗い。救いようがない。
テンションが一定なのがいっそ痛い。