無感動に劣化していく自分を認識していた。

 まるでさび付いた螺旋のように、ボルトから抜け出せなくなるような。

 ねぇ、僕はまだ、生きていますか?



しっこく



 太陽がいた頃、ルックは確かに幸せだった。思い続ける暖かさも、報われないと分かっていた虚しさも、全部が「生きている」ことだった。「物」では、味わえない感動。

 ルックは幸せだった。だから、幸せを感じた唯一の太陽がいなくなってしまって、彼は「物」へと戻ろうとしている。シンデレラの魔法が12時で解けてしまったように、月が消えると呪われた姿へ変化してしまうオデットのように。

 「生きていた」のは、幻だったかのように。

 ルックにとって、テッドの存在は異常なほどに大きすぎたのだ。

 ルックが「物」へと戻り初めて、1年。変化無き島に来訪者が訪れる。無気力にあったルックの転機となるだろう太陽が、再び島の地を踏むのだ。

 それをレックナートが知ったのは、星見の執筆のため空を見上げていた時だ。後にトランと呼ばれる赤月帝国の行く末を占っていた盲目の魔女は、一際輝く星と、存在を誇張するような赤い星の動きを目にした。

 天魁の星が動いた。

 だが108の星が集うという事実よりも、魔女は赤い星の動きに驚いた。そして唯一の弟子を思い、複雑な心境をその顔に浮かべる。

 翌日、レックナートは月が一巡りする頃太陽が訪れることをルックに告げた。







「魔術師の島…?」

「ああ、どうかしたのか」

 皇帝バルバロッサとの謁見を終え、帝国に仕える人間となったニィド・マクドールの初任務。それは魔術師の島へ星見の結果を取りに行くこと。実に簡単な任務だ。だがそれを付き人達と親友に告げたらテッドが目をまん丸に見開いて驚いた。

「え、いや…なんでもねぇよ」

 そう取り繕ったように笑って言うが、その顔すら無理矢理造り上げたのが見え見えだ。いつも余裕綽々としているテッドを見ているニィドは不振な目で彼を見るが、深くは追求しない。そのテッドは「じゃあ明日な」と手を軽く上げてマクドール邸を辞した。テッドの住まいはマクドール邸から歩いて直ぐの所にある。

 テッドは走って狭い家に戻った。心臓が破裂するのではないかと云うほど脈打っているのは自宅に戻るまで全力疾走したからではない。

「…ルック…」

 会いたいのか会いたくないのかと問われれば、テッドは即答で会いたいと叫ぶだろう。だが、一体どんな顔をすればいい?なんと言って彼の前に姿を曝せばいい?「やぁルック、元気だった?」「久しぶりだな、調子はどうだ?」。なんて滑稽。

 別れ際のあの顔を思い出してみろ。全部が全部オレの都合でルックを泣かせた。

 テッドは顔を腕で覆い、深く大きく深呼吸を2、3度繰り返した。

 閉められた窓から黄昏時のオレンジが部屋を照らす。そちらを向けば風に揺れる木々の葉。そよぐ風に彼を思い出さずにはいられない。この1年そうだった。

 ルックは笑っているだろうか、笑顔でいるだろうか。泣いてなんかいないだろうか、悲しんでいるだろうか。

 思いは尽きない。太陽が沈んで、月が昇って、沈んで、そして太陽が昇って。そうしたら、テッドはルックと再会を果たす。







 竜騎士見習いのフッチに連れられ、一行は魔術師の島に足をつけた。

 深緑に覆われた、いっそ鬱蒼とした木々が出迎える。一応道らしき物があるのでそれを通ってそびえる塔に向かう。

 たわいない戯れ言で笑い会う仲間を見る余裕もなく、テッドはただそれを映していた。見ているのは、風の泣き顔。

 時々通るひいらぎこぞうを無視して進んでいると、道が開けた。

 見上げると遠近感を狂わせる高い塔が荘厳に構える。そして、その塔が生える下方。彼等と視線の合う高さにいる少年。目を見開いて立ちつくしている。

 今日この日、ルックはテッドとの再会をレックナートから告げられていた。だが、ルックは信じなかったのだ。テッドは行ってしまった。もう戻っては来ない。そう認識していた。一縷の望みを抱くこともなく、「ひょっとしたら」も考えもせず。

 だが、テッドは今ルックの目の前にいる。あの暖かな闇を感じることが出来ないが、しかし、どうしてルックがテッドを間違うことなどありえようか。

 鉛のように重かった足が、それを詰めた袋に穴が開いたかのように徐々に軽くなる。引きずるような歩みは、やがて風に背を押されているかのように軽くなった。前へ、前へ。1年間ゆっくりとしか歩もうとはしなかった足はいつの間にか駆けだしていた。

「っテ、ッド…!」

 緊張しすぎて声が掠れたかのように。ルックは上手く言葉を紡ぐことが出来なかった。それでも、テッドには届く。

 見知らぬ少年がテッドの名を呼んだ事に皆は驚いた。少年と彼等の距離が初めの半分ほどになったとき、思い出したようにテッドも駆け出す。真っ直ぐに、風の元へ。

 どん、と二人がぶつかる。しっかりと互い抱きしめあって、二人はフッと消えた。

「テ、テッド君!?あぁぁあぁぼ、坊ちゃんどうしましょう!」

 惚けていた皆は、グレミオのその驚きの声にハッと気が付いた。だが、直ぐに気を張りつめ、ニィドは辺りを見渡す。

「何か来る」

 その瞬間、彼等の足下から大地が盛り上がり人の形を模したモンスターへと変わった。

「クレイドールか?坊ちゃん、気を付けて」

 クレオが飛刀を構える。それに続いて、皆各々の武器を構えた。










「テッド、テッド、テッド…!!」

 ルックが転移したのは、以前テッドが使用していた部屋だ。テッドがその部屋を見渡すと、以前とまるで変わらないことに気が付く。いや、少し違った。
匂い。

 今この部屋は、以前テッドが使用していた時より柔らかな匂いがする。

 ルックはテッドがいなくなってから、ずっとこの部屋で生活をしていたのだ。そう思うと、テッドは再びきつく腕の中の風を抱きしめた。

 自分は「物」に戻ったのだと、確かな確信をしていたルックは、テッドの胸に顔を埋めて泣きじゃくる自分を「生きている」と思えた。

 「テッドがいない」。それだけがルックの全てを変え、「テッドがいる」。それだけがルックの全てを変えた。

 殆ど尽きたオアシスの水は一瞬にして溢れかえり、枯れた植物は映像を巻き戻すかのように緑に息づく。

 嗚咽が収まってきた頃、ルックは額をテッドの胸に押しつけたまま喋る。くぐもった声がテッドに響いた。

「会いたかった。会いに行きたかった。会いに、来てくれた」

 痛い程の気持ちが、想いが、願いが。突き刺さるように、テッドの胸を呵む。

「どうしよう。どうしようテッド。僕はもう、君がいないと生きていけないよ。テッドがいないと「生きて」いられないんだ。ただの「物」になっちゃうよ。ねぇ、どうかずっとここにいて」

 「物」になることを、ルックは恐れている。「生きていたい」のだと痛感させられる。

 それでもテッドは、留まらない。

「なぁルック、愛してるよ」

 ビクリと、ルックが腕の中で跳ねるのを感じつつも、テッドは気付かない振りをして続ける。

「お前を愛して幸せだったよ。でも、オレはもうここにはいない。あいつと行く。それは、300年前から決まってた」

「…っテッド」

「長生きしてよかったよ。ルックに会えた」

「テッド」

「ルックはオレを空に例えたけど、お前は海みたいだとオレは思うよ。海は全ての始まりだ。お前だって、なんでも作り出すことができるさ。だから、頑張って生きろよ」

「テッド!」




「たぶん、お前に会うのはこれが最後だ」



 顔を歪めて、目尻からボロボロと涙が溢れる。そんなことは気にしていられないと、涙を拭おうともせずルックはテッドに縋る。腹の辺りの布地を両手で握り込み、膝を折って俯いて。

「僕は、ねぇ、テッド。君が全てだ。明るい空を指して、君が「夜だ」と言えばそれを信じるし、蕾の花を満開だと言えばその状態が満開なのだと認識を改めるよ。テッド、テッド、僕の太陽。僕の神様。僕が愛した人。僕を愛してくれた人」

 嗚咽混じりに吐き出して、ルックは立ち上がって顔を上げる。相変わらずぐちゃぐちゃの顔のまま、悲しみを堪えられないそのままで、ルックはテッドに唇を押しつけた。










 見上げるだけでも大変な高さの魔術師の塔を、昇れと示すのは砂と化したクレイドールのなれの果て。サラサラと崩れ落ちたクレイドールは風も吹かずに綺麗にならされスーッと文字を刻んだ。

『最上階へ』

 案内板はこれだけ。風が吹けば消え去るその儚いお知らせに、一行はため息を禁じ得なかった。

 昇り初めてどれだけがたったろうか。単調に繰り返される階に、間隔が狂っていく。初めは多少なりともあった会話は頂上へ近付くたびに反比例する。

 だが、半分ほど――昇る当人達は気付いていないが――昇った頃ニィドが口を開いた。

「…テッドはどうしたのだろうか」

「まぁ…知り合いみたいだし、大丈夫じゃ、ないんですか?」

「そんな、こと言って…でも、私達には、居場所もわからない、わけですし」

 ニィドの呟きにパーンとグレミオは途切れながらも言葉を紡ぐ。

「まぁ、そうだな。気にしても仕方がない。あの様子では、危害を加えられそうでもなさそうだ」

 フと笑って淀みなく言葉を吐き出す。

 2人は突然消え去る前、しっかりと抱擁していた。互い名前を呼び、近付くルックにテッドは自ら駆け寄りさえしたのだ。

 魔術師の島へ行くと告げた先日、テッドは明らかに動揺していた。小さな魔術師との再会に、テッドが何を抱いたのかは誰にも計り知れない。

 また、1階を上り何度目とも知れないフロアに出る。その隅にある、紋章を示す文字がびっしりと刻まれた直径1m半程の円盤を眺め、誰にともなく呟いた。

「先程から気になってはいたのだが…あれはなんだ?」

 息も絶え絶えな一行は、項垂れながら「わかりません」とだけ答えた。







 ルックは一人寝台に座り込んでいた。

 テッドの姿は、ない。

 壊れた涙腺はどうにか収まり、涙を流すことはしなくなっていた。

 暫くじっとしていたルックは徐に寝台から降りて顔を洗う。水に濡れた顔をタオルで拭うと、どうしてかまた、涙が溢れた。

 静まり返った水面は水底から少しずつ、徐々に大きく揺れ水面にいくつもの波紋を作り出す。

 それを幾度か繰り返し、最終的にルックは無理矢理気持ちを落ち着けた。小さく声も出さずに風を呼び、腫れ上がった瞼を癒す。重かった目が軽くなり、ぎゅ、と目を瞑って深呼吸。

 ルックは戸を開けて、静かに閉めた。

 ルックがゆっくりと階段を自らの足で昇り、1つ上の最上階に辿り着いた頃には既に帝国の使者達は到着していた。ニィドもレックナートから星見を受け取り皆と合流していた。ちょうど、魔女がクレオに紋章を授けていた所にルックは姿を現した。

 クレオもグレミオをもパーンも、ニィドも、クレイドールを仕掛け何段も階段を上らせた張本人に会ったら一言言ってやろうと思っていた。だが、現れた魔術師の顔を見て、誰もがそれを出来ずにいた。

 泣きそう。

 ルックの顔を見た、4人の感想だ。

 その場を満たす沈黙に、レックナートはため息を小さく吐いてルックに命じる。

「…島の入り口まで送って差し上げなさい」

「……はい、レックナート様」

 とてとてとなんとも頼りない足取りで前へ進む。パーンを、グレミオを、クレオを通り過ぎ、ニィドを通り過ぎ。テッドの前で止まるとそっと手を差し伸べて、抱きつく。何も言わずにテッドも抱きかえすその状態で、ルックは転移術を行使した。







 島の入り口、フッチとブラックが待つその場へ一瞬のうちに移動していたニィド達。

 テッドのその腕に捕まえていた風は、掴めるはずもないと空っぽだった。

 ぽっかりと開いたその空間を、テッドは呆然と、悲しみと、後悔が入り交じる表情で見つめる。

 呟くようなテッドの声に、ニィドだけが気付いた。

 











「ごめん」




















思いもよらず過去最長かも知れません。
テドルクって悲恋ですねぇ。
テッドが死んでしまうという時点でもうバッドエンド決定ですかみたいな。
まぁ、ベオーク編みたいな(…)何かしらの救済策を講じないと…。
ただ、宣言してきますがこの連載は悲恋です。