煩わしい羽虫のようだ。




三角関係




 解放軍軍主をそう思っても仕方がないと思う。僕は何度も、懇切丁寧に説明した。「お前が嫌いだ」「二度とその顔見たくない」「仕事でやむを得ない場合以外来るな」と。

 だのに、あいつは暇を見付ければ僕の元を訪れる。

 煩わしくてしょうがない。

 僕は静かにしていたいだけなのに。もう届かない彼に思いをはせていたいだけ。

 あの闇が恋しい。

「ルック」

「来るなと言うのに」

 いつもこいつは僕の思考の邪魔をする。狙ってすらいるのじゃないかと疑いたくなる程だ。

 ふと、巻かれた包帯に目が止まる。

 その下には、どうやっても消すことのできない紋章がある。彼が300年守り抜いた呪われた紋章が。それは確かに、闇を放つ。

「…でも、違う」

 彼の闇は、暖かかった。

「何が違う?」

「その闇は僕の求めるものじゃない」

「…テッドか」

 その名を口にするなと、何度目になるかもわからないが戒める。ニィドはいつも、そんな僕の言葉なんてお構いなしだ。いつも。



「テッドの名を口にするなと言うのは、君がただ、あいつの名を聞きたくないだけではないのか?」



 いつも、聞き流しているだけだったのに。

「どうして?僕が彼の名をどうして厭うというの」

「それも尤もな話だ。ほとんど崇拝に近い形で愛を露わにしているのに」

「そう。僕の唯一絶対神。そして僕は敬虔な信者」

「では、その神の名をお聞かせ願えますか?」

 紳士が淑女をダンスに誘うかのように、一挙一動優雅に尋ねる。

 いや、違う。

 ニィドは完璧な笑顔を張り付けて逃げ道を塞ぐ。


 僕は試されている。


「僕の神様は気安くないの」

「テッドがルックの言う「神様」ならば、そうではない筈だ」

「じゃあ違う「神様」なのかもね」

「成る程。この世に二つとない生と死を司る紋章を宿す別人か」

「あんたの底意地悪すぎるよ」

「褒められたと取っておこう」

 腹が立つ。イライラする。こいつといるといつもだ。頓に、ここ最近は特に。



「さぁ、彼の名を呼んで」

「いやだ」

「呼ばれなくてテッドだっていい思いなどしない」

「いやだ」

「彼を愛していると容易く言えるのなら、その名を呼ぶことなど造作もないだろう」

「いや」

「さぁ、ルック」


 ニィドの目が僅か見開かれた状態で、彼は興奮しているのか。湛えられた笑みは狂気に見える。

 「呼べ」と、追いつめるニィドの声。

 僕が守ってきたオアシスへの道を、障害物などものともせずにズカズカと進んでくる。今では僕ですら入れないオアシス。巨大なシャボン玉で結界を張って守っている。

 あまりにも、頼りない守り。つつけば弾けて消えてしまう。



 ニィドのつま先が、結界に触れようとする。



 僕が守ってきた彼の記録が。



 僕でも彼でもない、他の誰かに。






「止めて!!」

 耳を塞いで頭を振る。僕はみっともなく金切り声をあげて拒絶した。


「止めて、オアシスを踏み荒らさないで。僕の記憶を踏みにじらないで!!」


 無機物である自分と有機物である自分が入り交じる。僕は始め、物だった。テッドがいたから、物じゃなくなった。テッドがいなくなって、僕は、どちらともつかない中途半端なものになった。

 どちらでもない僕は、限りなくアンバランスなところにいる。

「…すまない。追いつめるつもりはなかった」

 僕の絶叫にハッとしたようにニィドは尋問を止める。



「もう嫌だ。なんなんだあんた。彼は僕を愛してくれたけど、僕を置いていなくなった!僕の空の名前は、『テッド』!!」



 涙が浮かぶ。堪えきれなくて、こぼれ落ちた。堰を切ったように次から次へと止め処なく。

 シャボン玉は、強風に煽られて割れてしまう。




 音もなく結界は壊れた。



「これで、満足か!!」

絞り出すような叫びに、彼は顔を歪ませる。

「………っ」

 必死に守ってきた、封じ込めてきた彼の記憶が頭の中を駆け巡る。




 テッドに、会いたい。





 僕は転移して、雨が激しく叩き付ける屋上へと移動した。痛いくらいの雨が、今あった出来事は無理でもせめて、涙は、洗い流してくれると思ったから。











 羽虫?なんて謙遜!あいつは、避けがたい災厄だ!!

 

 

 







突如襲う嵐は、なにもかもをめちゃくちゃにして。