置いていかれるのは彼ではないのに。


 それでも泣き喚くルックを見て、思う。


 「私を見ろ」と。




リップサービス



 光に飲み込まれた私たちは、鬱蒼と茂った森の只中にある村へ突如として訪れた。


 それは安易な行動に出たビクトールのせいだったりするのだが、それはこの際置いておく。そんなことは些末だからだ。


 問題なのは、ここはどこで、目の前にいる少年が誰かということだ。


「お兄さんたちだれ?ウィンディの仲間?」


 純粋な幼い目がじっと見つめてくる。おそらく「ウィンディ」がどういうものなのかいまいち理解していないのだろう。
 カラン、と乾いた音を響かせたのはルックだ。手にしたロッドは力なく緩められた掌から滑り落ちた。眼窩から眼球が転がりだすのではと心配するほどに目を見開き少年を凝視している。

「テッド…」

 呟いたその言葉は、疑問ではない。断言していた。

 呼ばれた少年――テッドはびっくりして「どうして名前を知っているの?」と尋ねる。ルックは大きな眼に涙を溜めて手を伸ばす。

 だが、その手がテッドに届くことはなった。

「テッド!!」

  大きな怒声が、ルックの手をテッドから遠ざける。声のする方へ目をやると、ご老人が確かな足取りで駆けてくる。触れようとするルックから遠ざけるように テッドの腕を引っ張り家に入っていろと告げた。テッドにとってこのご老人の言葉は絶対かのように、テッドは慌てて家の中へと消えていった。

「…っあ…!テッド、テッド!!」

「お前たち、何者だ?どうやってこの村に…」

 そして、なぜ「テッド」を知っているのかと詰め寄る。ウィンディとは関係ないと理解してくれたようで、その口調に険はあるものの憎しみや恨みのものではない。

 ご老人は早く去れとだけ告げて、自らも扉の向こうへ姿を消した。

 ため息をひとつ。

  どうしたものかと皆と相談する。ここが300年前の、テッドが紋章を継承する前の時代であることはわかったが、どのようにして戻ればいいのか見当がつかな い。一番この現象に理解がありそうなルックは頼りにできない。少し目を離せばふらふらとテッドの元へ行こうとする。それを連れ戻して、また繰り返すものだ から、私は彼の手首を掴んだままどのように元の時代へ戻るかの話し合いへ戻った。

 私が繋ぎ止めたのでルックはすぐ傍に立っているが、視線はずっとひとつの扉を見つめている。その視線が、急に勢いよく変った。その変化に気づいた私達はそちらを見ると、一人の魔女がまさに紋章から炎を召喚した瞬間だった。

「ウィンディ…!!」

 突如として魔女は炎とともに現われた。炎は民家を焼き森を焼き、暮す人々を焼き尽くす。

 火が家々を燃やし始めると、先ほどのご老人が飛び出してきてウィンディに対峙する。

「おのれ、ウィンディ…!」

「おいでだねこの老いぼれ。手間を取らせてくれる…こんなところに隠れていたとは。さぁ、ソウルイーターを渡しなさい!それはお前ごときが手にするには過ぎる代物だよ」

「魔女めにこそこの紋章は相応しくなどないわ!生と死を司りし紋章よ…!」

 ご老人が叫ぶと、その右手から眩い光があふれだした。

 私の右手は、チリチリと鈍い痛みを訴えていた。








 私たちはテッドの家の隠し扉の奥で息を潜めていた。ご老人は幼く小さなテッドを抱きしめ、最後の別れを告げる。そして、紋章は何も知らない子供へと託された。

 ご老人は私たちに「巻き込んですまない」と告げウィンディのもとへ向かった

 命を賭しての撹乱。このただ一つの紋章に、そこまでの意味があるのだろうか。人里から離れ決して知られぬように潜むようにして生き、紋章を守るためだけに死に行く。

 生涯をすべて無為にするくらいならば、世界など放っておいて渡してしまえばいい。

 そんな考えが頭の中を掠めたことに気付いた時、どうしようもなくイライラして荒々しくため息を吐きだした。

「逃げるぞ」

 託されたテッドを、今死なせてしまうわけにはいかない。彼は少なくともこの後300年ばかり生き延びなくてはならないのだから。

 低く呟いた言葉に皆は険しい顔をして頷く。

 今の我々にできることなどないのだ。

 隠されていた裏口から息を殺して一歩を踏み出す。轟々と燃える家屋が崩れてゆく様を、純粋な瞳が悲しそうに映していた。

「どこに行くのですか」

「!!」

 先頭を走っていたビクトールの前に、突然に現れた黒い甲冑の男。

「なにやら不思議な感じがする。闇の匂いと秩序の気配」

 ゆっくりと手を持ち上げて、私と、ルックと、テッドを順番にさした。

「あなた方」

 男が言い終わる前に、列の真ん中をテッドと共に走っていたルックが風を暴走させる。彼を中心として溢れ出す風は凄まじい。

 だが、男は髪を揺らすだけで特別な反応は示さなかった。

「お前なんかに…っ!!」

 テッドを殺させなどするものか。

 そう、言っているような気がした。

「……ふむ。あなたが秩序の気配か。随分と、混沌に染まっているようにも思えるが…まぁいいでしょう」

 言うと、スラと刀身を抜き放つ。

 無意識に大きく一歩を踏み出して男とルックの間に割り込むが、ふと闇が揺らめくだけ。

 吹き荒れる風は様々な物を――――彼と、テッド以外のすべてを傷つける。

 その風を気にも留めず、男は私の後ろにいるルックに向かいゆらりと急速に踏み込む。私はそれに棍を構えて衝突の時を窺った。しかし、その時が来ることもなく、男は後方に大きく跳躍して間合いを十分すぎるほどにとった。

「どうやらウィンディ様が呼んでいるようです。あなた方のそれらは気になりますが、いいでしょう」

 言いながら剣を鞘におさめ、その場をあっさりと後にした。

 私たちにしたら止める理由などはない。

 私が棍を下すも、ルックの風は鎮まることを知らない。すでにいない敵を睨みつけるように、何も映していない瞳が怒りに揺れる。

 否、恐れに。

 肌を切り裂くその風の中心に向かうが、ふとすぐ傍らの小さな手が細い指を握った。

「どうしたの?おにいちゃん。かなしいの?」

 そんなテッドに、ルックは風を落ち着かせたようだ。ただただ、小さなその体に縋るように。膝をついてきつくテッドを抱きしめた。

「?」

「テッド…テッド…っ」




 いっしょに いこう?




 聞こえたその言葉に、私は荒々しく彼らを引き離した。

「ルック、わかっているだろう。ここは私たちの生きる場所ではない」

「っでも、だって…!!」

 今にも泣き出しそうな顔で、ルックは私に感情を露にした。彼自身、どうしたらいいのかが分かっていないかのようだ。

 いつも変わらないあの顔は、ただ唯一の事柄に関してだけ変化を見せるのだ。

 私にはそれが、たまらなく妬ましい。

「……村へ戻ろう。もう、誰もいない」

 せり上がる感情を押し込めて、私は素気なく言葉を吐き出した。









 村に戻ると、私たちが出てきた社がその時と同じように白く輝いていた。

 戻るのは今しかない。

「あの光が元の時代につながっているのだろう。今は、他にどうしようもできない。消えてしまう前に行こう」

 皆が社へと続く階段を昇り始めると、とたん不安になったのだろう。テッドが「いっちゃうの?僕も連れて行って!」と叫んだ。

「それはできない。君は、これから1人で生きていかなければならない」

「嫌だよ、そんなの。ねぇ、僕も」

「……すまない。いつか会う時まで、どうか生きてくれ」

 クレオ、ビクトールと、光の中へ消えていく。私も行こうとするが、ルックが立ちすくんだまま動かない。その後ろ姿に不審を抱かずにはいられずにその腕をとらえる。

「…ルック、戻ろう」

「…い…だ」

「え?」

「嫌だ!!嫌だ、テッド!!」

 突然暴れだしたルックを背後から抱き締めるように押さえる。連れて行ってと言っていたテッドでさえ戸惑っているようだ。



「いや、やだよ。僕を置いていかないで!!」



 そう叫んだのは一人残されるはずのテッドではなく、この時代にとって異物である我らの中から発せられた。必死に手をのばして、この手を取ってと縋る思いで願う。

 ひたすらにテッドの名を呼ぶ彼を抱きしめる、私の腕に力がこもる。

 必死に伸ばす手は決して届かない。

私の想いと、同じように。

「テッド、テッド!」

 不安そうな顔に怯えすら滲ませたその少年に、私が知る彼を重ねる。


「何が何でも生き延びろ!!」


 ルックの声に呑まれないようテッドに叫んだ。

 そして、ひたすらに呼ぶルックを、私は強引に光の中に引きずり込んだ。

 視界が白に覆われても、彼はテッドの名を呼ぶことをやめない。

 景色が元に戻る寸前、彼をかき抱いて願うように呟いた。

「私を、みてくれ…」

 その緑には、ただのひとつしか映ってはいない。


 







 もうだめ。テドルク編の登場人物は3人です。クレオとかビクトールとか、背景ですから。
 そして加執修正。たいして変わってないんですけどね。