あの時僕の頭をかすめた思考は、ただ逃げているだけだ。

 300年後の世界になど戻らずに、幼い彼とともにこの時間に留まり生きていく。

 馬鹿げた幻想。夢のような人生。

 でも、300年後の、ウィンディに囚われたままのテッドを放っておくことなんて、僕にできないのも事実なんだ。

 君が僕に、「人」としての僕をくれた。

 ああ、君がいないと、僕は陸に上がった魚の様だ。





Without say good-by  -最後の-




 憎たらしくも、星はただ一つを除いて欠けることなく集まりつつある。この紋章をめぐる争いも終焉へと向かっている。そう、確実に。あと一歩のところまで。

 もうそれだけしか残っていない。

  はやくテッドを助けに行かないといけない。でも、どうしていいのか分からない。テッドが目の前にいて、あいつも僕もその場にいて。紋章をテッドに渡せる機 会などそうそう訪れるものではない。ウィンディをどうにかしないと、僕の力では彼女の目を掻い潜ることができないのだから。

 問題の紋章を「狙ってくれ」とばかりに気配をびしびしと発しながら宿している軍主はといえば、東奔西走して忙しくしているようだ。かと思いきや、暇を見つけては僕のもとを訪れる。逆に僕が遠征に連れ出されることもある。

 あいつは順調とばかりに真の紋章の呪いを体験してる。幼い時から家族同然に過ごした従者が軍主を生かすために胞子なんぞであっけなく死んだ。いかれた皇帝に忠誠を誓い続ける敵対した父親と対面してこれまた自分でさらりと殺した。

 人間ていうのは、近しい者が2人くらい死んで、それを見せてはいけない重責に押しつぶされそうになってどうにかなっていく物だと思っていたが、あいつに限っては当てはまらないらしい。1日ずどんと落ち込んで、そのあとすぐに切り替える。

 まったく、邪魔ったらないね。

 さらに面倒なことに、竜洞騎士団と同盟を結ぶらしい。しかも僕まで連れて行くとか、迷惑極まりない。考える時間が欲しい。テッドと、あの島へ帰るために。





 侵入という形で竜洞にまで入った僕たちは、昏々と眠りにつく竜たちを見た。

「確かにこれじゃあ、協力なんてできないよね」

 言いながら、竜の皮膚をざらりと撫でる。この世界にいるはずのない命。この世界ではない別の世界で生まれ落ちるはずだった異物。

「何をしている!」

 でも彼らには大事にしてくれる主人がいる。それだけで、世界に馴染む。

 結局その場に現れた副団長、ミリアにばれて竜騎士の砦まで招待されてしまうのだから、天魁星の運も馬鹿にできない。

 砦まで行ってみれば、真の紋章が一つ。竜を世界に証明する紋章。

「御覧のとおり、竜たちは一向に目を覚ます気配がありません。残念ですが、解放軍にお貸しする力がないのです」

「リュウカン殿であれば、あるいは解毒剤を調合してくださるのではないかと思ったのですが…」



 ご自宅にいらっしゃらないのです。なんて、ああもう。本当に馬鹿にできない。















 僕が今、どうして、何をしに、こいつとここにいるのか。そんなことは一瞬にして吹っ飛んでしまった。

 なぜなら目の前にテッドがいて、ニィドがいて、僕がいて。

 僕が待ち望んだ光景がここに実現されたから。


「なぁニィド、預けていた紋章返してくれ」

 それがないと、テッドは生きていられない。


「それはお前にやった訳じゃない。貸してただけだ」

 まったくもってその通りで、あいつは制御もできちゃいない。


「さぁ、ニィド。返してくれ」



 早く、かえして。





 ニィドは答えずにテッドを見つめている。

 僕はテッドが生きていることを知った時からずっとこの瞬間ばかりを望んでいた。ウィンディがいるのは邪魔だけれどこの際気にしないことにする。

 あいつの手にソウルイーターがあるのにずっと違和感を感じていた。だってあれは彼の、テッドのものだから。それが他人の手にあるだなんて気持ちが悪い。

 それに、テッドも今言ったじゃないか。


 「返してくれ」と。


 彼がそう望んだ!!テッドは生きるのだ。彼はこの世界に何よりも必要で、世界に相応しいのだから。ニィドみたいな些細な生き物に彼の生きるすべを奪わせるなんてことあってはならない。

 だから僕は当初の計画通り、ニィドから紋章を剥ぐことにした。

 真なる風の紋章を解き放ち、その風で圧力をかけるように闇に力を押し付ける。未熟なままの、軍事にかまかけて紋章を疎かにしたままの今の状況ならば剥がせるはずなのだ。


 そう、何の邪魔も入らなければ。


「っどうして、どうしてどうしてどうして…っ!!」

 僕は、君に。

「テッド!!!」





 生きてほしいだけなのに。




 瞬間、僕は闇の中にいた。




 そこには僕のほかにニィドとテッド。二人が話をする形で向かい合い、僕は少し離れた場所で座り込んでいる。

「悪いな、ニィド。ブラックムーンとやらで自由が利かないんだ」

「テッド…」

「この空間もその紋章が近くにあって持ってる。短い時間だけどな」

「…テッド、私は、返せない」

「おいおい、むしろ返されても困るから」

 そう、屈託なく笑う。あれは、誰?

 僕の知っているテッドは、僕にあんな笑顔を見せてくれない。僕に向けるそれとはちちがう微笑み。

 僕はずっと、テッドの隣が欲しかった。そこに居座る、ニィドが妬ましくて堪らなかった。

 ぼろぼろと、溢れる、キモチ、ココロ、ナミダ。

 恋情。

 ニィドとの会話が終わったのか、テッドが僕へと足を向けた。

 あいつはこちらに視線を向けている。でも、そこからは動かない。

 テッド、テッド、テッド。僕のすべて。かみさま。

 目の前までくると、目線を合わせてしゃがみ込んでくれる。抱きしめてくれる。

 その腕にすがるように、僕はぎゅうぎゅうと抱きついた。

「…ルック、泣くなよ」

「テッド、テッド」

「ごめんな、ルック。俺はお前と一緒に生きられない」

「いや、いや。そんなこと言わないで」

 駄々をこねる僕にテッドは苦笑を洩らす。


「俺は、消えるんだ」


 エンジンの代わりの心臓が、鼓動を止めた気がした。

 あの時、彼の紋章を宿して僕の眼前に現れたニィド。それはつまり、テッドがいないことを指した。でも、僕はテッドがいなくなってしまうと見聞きしたわけではなかった。どこか現実味に欠けていた。

 だが、今はどうだ。

 彼が言うのだ。テッドが、消えてしまうのだと。いなくなってしまうのだと。

「て、っど」

「ごめん。好きだよ」

 そう言って、笑ってくれる。ニィドに向けたそれとは違う笑顔。ぜんぶが欲しかった。そんなのありえないのに。彼に向ける愛と、僕に向けてくれるあいは同じじゃないのに。


 それでも、ほしかった。ほしかったんだ。


「テッド、テッド。好きだ、愛してる。君が僕のすべてだから。君がいないと意味がないから」




 風を、あげる。




 闇が音をたてて崩れ去る。もともと危うい均衡の上に成り立っていたのだ。そこに真なる風を顕現させたからあっさりと元の次元へと戻った。

 ただ、風は暴れるように僕以外のすべてをはためかせる。

 彼を生かす条件はただ一つ。真なる紋章をその身に宿らせること。

 本当は、テッドと一緒に生きたかった。ずっとずっと、傍にいたかった。でも、君がいない世界には一瞬でも生きていたくない。だから、僕が持つ風を、君にあげる。

 ねぇ、テッド。考えてみたら、それは案外素敵なことかもしれない。僕がずっと宿していたもの。僕が持つ数少ない所有物。僕の風。それが、君と共にあり、君につくし、君を生かすというだから。

 それは、きっと。とても素敵な、

 すてきな、



「うそ…っ!嫌だ、嘘だ、嘘だ、そんなこと!!」

 ぐるぐると廻る。オアシスが急速に色をなくしていく。

「風!風!風!風…!」

 お願いだから、ねぇ、もうほかの紋章なんて使わない。だから、だから!


「外れてよ…!!!」


 ひたすらに風を呼び、彼の終わりを阻止してくれと願う。でも、風はぐるぐると、ぐるぐると、外れようとはしない。外すだけに比べて、継承なんて簡単なんだ。簡単なはずなのに。


 絡み、ついてる。


「くそっ」

 周りのすべてが雑音に聞こえる。目の前が真っ赤に染まって、僕にはテッドしか認識できない。横たわる、少年のままの姿。

 手をかざして、すべての魔力を吸い上げるように癒しの風を呼んだ。無駄だとわかっていても、やらずにはいられない。だって、テッド、生きて、生きて、生きて。

 彼の体は外傷を負ったわけではない。300年生きた体は神の加護をなくして保てなくなっているだけ。癒しの風は、ただ優しいだけだった。

「くそ、嫌だ、絶対君は、テッドは…っ」










「ルック」

 このままだと命を削ってまで癒しの風を行使しそうなルックをそっと呼ぶ。

「いいんだ、ルック。俺はもう、十分に生きた。そろそろ潮時だったんだよ」

「そんなこと、ない!」

 遠くから喧騒が聞こえる。ウィンディと、闘ってんのか?

 ああ、勝てないかも。

 どっか頭の奥でぼんやり考える。

 とりあえず、顔をくしゃくしゃに歪ませてるルックをどうにかしたい。

  なんだ、どれくらいこいつといたんだ。7年?もういいや。もっと長かったような、短かったような気がしてわかりゃあしない。とにかくもうあれだ。うん。愛 してる。ルックが俺に生きてほしいと思ってるように、俺だってルックに死んでほしくない。これだけは譲らないからな。意地でも。

 お前には俺だけだったのに、随分ひどいことしたな。泣かせてばっかりで、でも、ルック。ああもう、名前を呼びたくて仕方がない。

 ルック、ルック、ルック、ルック、ルック、ルック、ルック、ルック。


 ルック、幸せに生きてくれ。




「俺なんて忘れて、幸せになれよ」

 一生その気持ちを魂に刻みつけて、俺を思って。



 声に出した言葉と、心の言葉。

 本心なんて言えるはずない。お前の気持が俺に向いたままじゃ、本当に幸せになんてなれない。俺には、ルックを幸せにできない。

 なのに、ルックは。



「僕の体も、心も、魂も」


 碧の目が細められる。ああ、泣かないでくれ。


「ずっと、テッドのものだよ…」



 そう言って、くたばる寸前の俺に拙いキスを落とした。


 ありがとな、ルック。


 ああそうだ、忘れちゃいけない。あいつらウィンディに勝てないぞ、このままじゃ。しょうがない。俺が一つ手を貸してやらなきゃな。

 ごめんなルック。お前は俺に全部くれたのに、俺は、全部はお前にやれない。

 ああほんと、俺ってサイアク。


 でもルック、俺からニィドは切れねぇや。ニィドがいなかったら、お前に会えなかったんだから。









「いやだ!テッド!!」

 死なないで。しなないで、いなくならないで。


「おいていかないで!!!」


 僕を君で満たして。僕を侵して。連れて行って。

 でも。

 彼の魂が、紋章へと。

 ソウルイーターに喰われたテッドの魂が、あいつに力を与えて、ウィンディが逃げてって。その場には、静寂が訪れた。

 テッドの魂が、テッドが、いなく、なった。

 僕はゆっくりと立ち上がって、ボロボロになった人間の間を縫うように、同じくボロボロの赤に向かう。

 近づいて、目の前まで来て、その手を見て。


 壊れた。



「殺してやる!!」



 唐突にニィド胸倉をつかみ怒鳴りつける。

「殺してやる!殺してやる!!お前なんかが彼の魂を…っ返せ!返して!!彼に…還して…っ」

 彼を罵倒しながら泣き喚く。

 こいつが悪い?そうだ、こいつが紋章を制御もせず外しもせず、テッドに返しもせず!野放しで。だから、近しい者の魂を、テッドの魂を喰らったんだ!

「ちくしょう、ちくしょう、殺してやる!殺してやるっ!!」

  憎しみに満たされて、理性なんて捨て去って。どうしようもなく湧き上がる憎悪。


「馬鹿で間抜けで鈍間な天魁星!そんなだから皆みんな亡くすんだ!お前はずっと、一人で孤独な、終わらない生を続けるんだ!!」


 憎くて憎くて、でもどうしようもなくて、陳腐な罵詈雑言並べ立てる。

 人のことなんて、まるで言えないのに。



 声をあげて泣き喚く僕の声だけが、仄白く輝くシークの谷に響いた。
















犯すじゃないよ侵すだよ。意味がちがうよ。でも日本語おかしいよ。
書き終えて思う。長い。
正直前半いらないんだけど、書いちゃったから。もったいない精神でそのままで。
ていうか次で一応終わりです。
次はまとめ、見たいな感じになるのではないかしら。