テッドが来てから、1年が経った。

 突然与えられた自由に、唐突に現れた彼。

 知り得なかった沢山の事。

 めまぐるしい毎日。

 自然の中にいて、彼の隣に居れる。

 テッドに貰った、幸せ。



林檎



 僕は今一人、森の中で紋章の練習中だ。さすがに彼の足もとに付きまとう事は止めていた。テッドが少し迷惑そうだったから。僕としては、いつでも傍にいたいのではあるけれど。

 風はいつも僕と共にいて優しいけれど、僕以外には優しくない。まだ、魔力を制御できていない。今日はよく失敗する蒼き門の練習。テッドがいたら怪我をさせてしまうかもしれないし、何も言っていない。いつも言っているから、逆に疑問に思っているかもしれない。もし来てくれたら来てくれたで、彼が僕を心配してくれたということで嬉しいかも知れない。

 ふぅ、と一息ついて、額に宿した蒼き門の紋章を発動させる。僕の魔力は信なる風によって、風のために増幅されている。それはまだ、増え続けているのだ。自身の力を顕現させるには、宿主の僕の魔力を必要とするからだ。
 そのせいか、単に僕が未熟なのか。風以外を制御するのは難しい。蒼き門は特にだ。頭が弱いとはいえ、意志ある者を喚起する。あれ等に嫉妬でもしているのだろうか。もし、テッドが僕以外の子どもの頭を撫でていたとしたら…。…むかつく。そんなの嫌だ。もし風があいつ等に嫉妬して上手く力を使わせてくれないのだとしたら、風に我慢してもらうのではなく僕が成長することで解決しよう。今決めた。


 そのためにも練習だ。とりあえず始めよう。


「蒼き門の紋章よ…」

 ――百万世界と百万世界を繋ぐ門が、開かれる。

 そう、いつも開くことは容易くできていたのだ。問題は、この後。まず出てくる生き物。今はとりあえず低級のバケモノを呼び寄せようとした訳だけど。ぬっと出てきたそれは…どうみても塔の半分ほどもある、高級のアクマ。

 ほらこれだ。いつも通りの失敗。そして、これは制御なんてされていなくて、すぐに暴れ出すんだ。主に、召喚主である僕に向かって。
「あーもー…」

 片手を前髪から突っ込んで、やれやれとため息。

 ひゅっと醜く大きな腕が伸びて、僕の体をさらっていく。とりあえず殺しておこうと、右手に宿る風に魔力を注ぐ。と、その時。上から聞こえてくる彼の声。

「ルックーー!!」

「テッド!」

 窓から飛び降りたらしいテッドに、僕は嬉しくて、彼の名前を呼んだ。

「お前、なにしたらこんな…!」

 くるりと空中で回って、身軽に着地する。何階から飛び降りたのかは分からないけれど、大丈夫だろうか。そんな僕の危惧は無駄だったようで、テッドは素早く体を起こし矢をつがえる。

 僕は何だか気分が高揚してくるのを感じた。なんだか楽しい。

 自分が今、異界のバケモノに捕らわれているなんてことも気にならず、この状況を楽しんだ。

 ふと、昨夜読んだ本を思い出す。このバケモノじゃ随分違うけれど、見立てて叫ぶ。


「ウィリアム・テル、ウィリアム・テル、どうか林檎を射てみておくれ!」


 テッドはポカンと鳩が豆鉄砲くらったような顔をした。その後にやりと笑って、


「随分えげつない林檎だな」


 バケモノ退治は舞台に変わった。とても滑稽な、楽しい喜劇。






 テッドは本当にウィリアム・テルみたいに弓が上手だった。放つ矢は吸い込まれるようにバケモノのこめかみに刺さったけれど、それでは異界の住民は死にはしない。奴等に一番有効なのは、紋章。物理攻撃に関しては専門外だから、それで倒せるのかは分からないけれど、効かないわけではなさそう。矢は刺さりっぱなしだし、ほんの少し動きが鈍くなった。

 テッドに気が行って、僕を殺すのを忘れているあたり頭はそんなによくないみたいだ。でもあんまり挑発されると握りつぶされてしまうかな。

 テッドもそれに気付いたらしく、跳躍して数メートル下がった。そして右手を掲げる。

「…おらソウルイーター、150年ぶりのメシだぞ」

 パラと解いた包帯の隙間から、暗い光りが覗く。

 小さく明滅し、魂を喰らったのが分かった。バケモノは形を保っていられなくなったようでバシュと音を立てて霧のように消えた。



 僕は風を借りて地に足をつけ、テッドへと駆け寄る。そしたらぺちと額を叩かれた。

「テッド…?」

「あれ結局なんだったんだ?お前探してたら突然あんなのが現れて吃驚したんだぞ」

「蒼き門の練習してたんだよ。いつも失敗してああなっちゃうから黙ってたんだけど…来てくれて嬉しかったな」

「あー…。ん?いつもなのか?」

「うん。今のところ制御に成功したことはないよ」

 ふむと考え込んで、テッドは「うん」と一人で納得した。

「次からはオレもつき合うから、練習の時は呼べよ」

「…嬉しいけど、たぶん毎回こんなだよ?」

「いいって、目の前で起こった方が安心するし。な?」

 ありがとうとお礼を言ってから、さっき気に掛かったことを訪ねる。

「あのさ、テッド。さっき僕を捜してたって、何か用事?」

「あ、いや、別に…」

「?」

「………お前の姿が見えないから探してたんだよ…」

「え」

「っお前いつもオレに一言言ってからどっか行くじゃねぇか!なのにいなかったら気になるだろ!!」

 自分でも口が緩むのが分かって、思わず両の手で口元を覆う。テッドが用事もないのに僕を捜してくれていたなんて!少しはなびいてくれたのかな。それとも情が出てきただけ?

「ねぇテッド」

「なんだよ」

「僕のこと好きになった?」

 ほとんど口癖みたいに、事ある毎に彼に言う科白。

 テッドは変な顔をして、ぽんと僕の頭に手を置いた。僕はテッドに頭を撫でられるのが好きだけれど、あの顔はなんなのかな。

「孫としては好きだって何度も言ってるだろ」

「でも、『おじいちゃん』は嫌なんでしょ?」

「…じゃあ友達」

「『友達』って、『おじいちゃん』より恋人に近い?」

「あのなぁ…!」



 テッドが返事をくれないのは分かっていたけれど、何度も質問して、テッドを困らせて遊んだ。