もう、駄目かも知れない。



笑顔



 オレがここに来てから7年が経った。こんなに長居したのはあの船を除けば初めてのことだった。何年間も年をとらない子供なんているわけないから、人里にはせいぜい2年くらいしかいれない。オレの外見年齢が30くらいなら、10年くらいいれるのかも知れないのだが。

 ふと影が差す。見上げるとそれは窓から身を乗り出したルックだった。

「テッド、ごはんだよ」

「おー、今行く」

 ルックは少しだけ変わった。いつだか泣いて、オレしかいらないと縋ったあの日から。事あれば逐一オレに報告し、何もなければオレの後を付いて回って。そ れがなくなった。成長したのだと言われればそれまでかも知れないが、時々伺うような視線を感じる。そう言うときは笑って「どうした?」と問いかける。そう することで、ルックを安心させてやると共に牽制になるから。

 だが、ルックを見ている時の自分の顔がその牽制を無意味なものに変化させていることを知っている。知っている、というか気付かされたのだが。たまに、 ルックを目で追っている事がある。それはもう無意識に。そんな時ルックが視線に気付いてオレを見ると顔を真っ赤にして背を向ける。その真っ赤な顔を見て びっくりして、自分がどんな顔をしていたのか知る。

「!」

 そんな考え事をしながらルックを見ていると、顔を赤らめて顔を引っ込めた。

「…あー……」



 馬鹿だオレ。










 昼食を終えたオレは書庫に向かう。

 およそ書庫と呼ぶには乱雑に過ぎる書庫で、真の紋章についての本を探そうと思ったのだ。思ったのだが、オレはいつの間にか腕まくりをし、スカーフを口に巻き、腰にはたきを差して掃除を始めていた。

 開け放たれた窓から清々しい空気が入ってくる。とりあえず足下に散らばる何に使うのか判断の付かない道具類を棚にしまう。出しっぱなしになっている本は 仕舞っていいのか分からないので纏めて端に積み重ねる。本来の通路としての役割を失っていた通路はそれだけでそれらしく見えるようになった。次にはたきを かけようとしたところでルックが現れた。

「…テッド、なにしてるの」

 キョロキョロと書庫を見渡して、一体何事かと驚いている。

「なにって、掃除」

「なんで突然?」

「いや、本探しに来たんだがついなー。あ、床にあった本なら机の上だけど」

「ありがとう…じゃなくて、手伝おうか?」

 苦笑してルックが申し出てくれたので、オレはありがたくその助けをお願いした。

 一緒に片づけを始めたわけだが、やはり勝手の分かる人物がいるとはかどる。下手に動かして良いのか分からなかったものは、ルックに聞けば事足りた。

 日が沈みかけた頃、漸く書庫の片づけは終了した。

「助かったよ、ありがとう」

「むしろ、お礼を言うのはこっちだよ。ずっと放って置いたから、今日できて良かった」

 時間を共有できたことが、嬉しかったのだろうか。ルックは微笑んだ。

 成長するスピードが緩やかになってきたルックを見ていると、こいつも継承者なんだと思い知らされる。それも、ただの継承者とは異なる紋章の抱き方をして。

 そろそろ夕食の支度をすると、ルックが出ていった。思わずその後ろ姿を捕まえたくなって、一瞬腰を上げた自分に驚いた。



 ドクン



 右手が、鼓動した。

「っ!!」

 ぐるぐると闇の中を蠢く何かを、右手ごと左手で押さえ込む。

 暫くジッとしていると、紋章は大人しくなった。

 冷や汗が流れた。目は自然見開かれ、動悸が激しい。

 オレは悪態を付いて、レックナートの元へ駆けだした。










 バン、と乱暴にレックナートのいる部屋の戸を押し開ける。

「…来ましたか」

「おい、あんた占い師だろ。教えてくれよ。あいつは、300年後に会おうって言ったんだ。でも正確な時間なんてわからない。なぁ、それは、いつなんだよ」

 盲目の魔女は、感情の伺えない表情のまま言った。

「…あの子は、あなたの紋章に絡め取られる魂はありませんよ。風が離しません」

「いいんだ、違う。オレは忘れてただけなんだ。駄目なんだ。ただ言い訳してただけなんだ」

 ため息を一つこぼして、答えをくれた。


「あと、一回りもないでしょう」


 どうしてか、複雑だった。






 オレは書庫に戻ってきた。当初の目的だった本を探す。馬鹿みたいに本はあるのに、真の紋章についての本は極端に少ない。数冊ある内の一つを取りだして、ぽつりと声に出す。

「宿主の親しき魂を好む、27の真の紋章で最も、呪われた紋章…」

 親しき魂を。

 オレは馬鹿だ。年のせいにして、あり得ないと、無理だと否定して。


『ねぇテッド。僕のこと好きになった?』


 ずっと言われてきた、言葉が脳裏をよぎる。


「…好きだよ。くそっ、好きで好きで、どうしていか分かんねぇよ…!」


 しゃがみ込んで、手にしていた本を投げ出す。きっと貴重なものなんだろうが、気にしてなんていられなかった。

 駄目だ。忘れなくては。全部忘れて、この7年間無かったことにして、この島を出なくては。


 なのに。


『ねぇテッド。僕のこと好きになった?』






あの笑顔が、消えない。