「離せよ」
「嫌だね」
「離せよ」
「嫌だって」
「…離せ」
「い、嫌です…」
俺が凄むと、悠人は目を逸らす。が、手は離さない。
先程俺達が降りた電車は、もう行ってしまった。
「な、なぁ豊?何をそんなに言いたくないんだ?何でそんなに言いたくないんだ?俺馬鹿だから、いちいち言ってくんなきゃ判んねぇよ」
「俺は馬鹿じゃないが判らないな。いい加減言ってもいいんじゃないか?」
貴史は思いっきり不機嫌な顔をして言う。俺より背が高いので、どうしても見下ろされるが、今はとてつもなく嫌な気分だ。
「…何をかは、言えない。何でかは、根本的なところは俺の問題だから」
「…ご、ごめん。豊」
悠人が斜め下の方を見て、申し訳なさそうに、辛そうに言う。
「もっと判りやすく言って!」
「あのなぁ…」
「つまりだ、悠人。俺等は全く、信頼されてねぇってことさ」
「っ何だよそれ?俺等友達だろ!」
「黙れ!」
俺が怒鳴ると、悠人はパタリと口を閉じた。
「友達だって?笑わせるな!俺はお前等と友達だったつもりはないね。ただ生活を送る上で他人は必要だった。それだけだ。俺はお前等と、誰かとなれ合う気なんて毛頭ない!」
「豊…」
「ふざけんなよ。何だよそれ。友達じゃないって?なれ合いだって?お前どんだけ俺等のこと見下してんだよ」
走俺に言った悠人は、今にも泣き出しそうな、でもそれを必死で堪えているような、とても強い存在に見えた。
俺はどうにも罪悪感を感じて、いたたまれなくて、そしてやっぱりこの二人の前から逃げ出そうと、考えていた。
どうしようもなく、俺は弱くて、愚かだ。
「っ離せよ!」
いつまでも俺の腕を捕まえていた悠人を振り払う。
そのまま立ち去ろうとした時。
「おい!誰か落ちたぞ!」
…え?
「悠人?」
振り返った俺の目に、悠人の姿は捉えられなかった。
「悠人!」
俺は慌てて駆け寄る。
「悠人!おい、大丈夫か?悪い、俺…」
「豊…気に寸なって!ちょっと足痛いけど、折れてもねぇし、大したことねぇよ」
「まず、引っぱり出そう。豊、お前右手持って」
「ああ」
だが思ったより高さがあり、悠人をなかなか引き上げることができない。
「ちっ、どうするか」
周りの人間は、ただ遠くを見守るだけか、そのまま立ち去るだけだ。
「貴史、俺も下りる。まず悠人を上に上げることだけ考えよう」
「でもそしたら豊が上がれなくなるんじゃ…」
「大丈夫だ。俺は足も痛めてないし、どうにかなる」
「…判った」
しゃがみ込んで、ゆっくりと下りるには何でもない高さだ。膝を折って、衝撃を吸収する。
「悠人、俺の背に乗れ。本当は肩に乗っかるともっと上りやすいんだけど、足痛めてるからな」
「おう。あ、靴は脱いだ方が…」
靴に手を掛ける悠人を見て、呆れながらもそのままで良いと促す。
「よし、これなら引っ張り上げられそうだ」
その時。
『六時十六分、二番ホーム。三番乗り場が到着します。白線より下がってお待ち下さい』
「!」
「悠人、さっさと、上がれ!」
貴史が怒鳴る間にも、電車は見え始めみるみる近付いてくる。
「豊!速く!」
「あ、ああ」
お前は明日、人を殺す。
その時なぜか、昨日のあの科白を思い出していた。
俺は今日、誰かを殺すらしい。だがそれは、きっと悠人でも貴史でもない。『誰か』が二人のどちらかなら、きっと、さっきので死んでいた。
いや、これから起こるのかも知れないが…。
「豊!何してるんだ!」
だが、その誰かが、
「豊っ?」
その誰かが、俺なら。
『人を殺す』。俺も人だ。ああそうだ。あの二人を殺さなくて済むなら、このちっぽけな命くれてやらぁ。
俺はレールの中央に移動する。
「豊!」
電車はもう目の前だ。俺の姿を見てブレーキを掛けてるみたいだが、あれは間に合わないな。好都合。
「ははっ、未練たらたら。でもここまでだ」
俺は小声で一人ごちる。二人を見上げて、俺は笑う。
「じゃあな」
俺は生きることを諦めた。