第八章



「成る程。レウロは何も言わなかったらしい」

「レウロって、アスファルを連れ戻しに来たんですか?」

 訊くと、リシウェントはアスファル越しに僕を見た。まるで、たった今僕に気付いたように。

「ああ。奴は何も言わなかったようだがな。わし等の国は今非常に忙しい。ハヌドゥノアス、手を貸せ」

「その名前で呼ばないで。それに、リシウェントはいつ国に仕えるようになったの」

「お前の名だろう?ハヌドゥノアス・チャク・ファルバーン。国にはスカウトされてな。旅も飽きた頃だったんで、二、三千年前から働き始めた」

 …千年の差は大きいと思う。やはり姿は人間のようでも、決して僕等と同じではないのだ。いや、彼等が人間のようなのではない。僕等が彼等の姿に似ているというのが正しいだろう。

「私は戻らない。ここにいる」

「お前はこんなちっぽけな島で、人間なんぞの死体を埋めているような器ではない。あまりに無駄遣いだ」

「私の勝手でしょう」

「お前は秀でて有能だ。国に帰れ」

 この会話の果てを見たいのは山々なのだけれど、今僕がここにいるのは危険な気がする。アスファルに限って、とは思うけれど、二人して喧嘩を始めそうな勢いだ。この世界を造った「神」としての力を使って。

 …というか、これは既に口喧嘩なのだろう。

「こんな世界が気に掛かるとでも言うのか?」

「言い出しっぺが何を言う」

「あの時は暇だった。しかし今は違う。戦になる」

 戦…。アスファルの国にも戦があるのか。力が大きすぎて、とんでもないことになるような気がするけれど。

「愚かだね。戦だなんて。それに戦なら私より彼を起こしたらどう」

「それこそ愚かしい。わしに死ねと?」

「私が行ったからとて何ができる。国に結界でも張ろうか。内側から崩れるな。この力で敵を滅ぼそうか。しかしそれだと不都合と見える。ならば無意味だ」

 こんな風なアスファルは二度目だ。一度目は、忘れもしないあの夜。世界創造を語ってくれたときだ。

 このときのアスファルは得体が知れない。怒っていないし、笑っていない。見えない。正直、恐い。それは畏怖かも知れないけれど。

「お前は奴等に信がある。死んだと思われとるようだがな」

「だから?死んだと思わせておけばいい」

「和親を結べ。何もわし等とて戦いたい訳じゃない」

「…」

 アスファルがため息を吐く。

「行って来なよ、アスファル」

 僕が控えめに、あまり大きくない声で言う。二人とも勢いよく振り返って僕を見る。

 …忘れられていたようだ。

「ほれ。小僧も言っとるぞ」

「エルヴィス、どうしてそう思うの?」

 先程までの雰囲気はなく、いつものように笑って尋ねる。

「戦争しに来いって言ってる訳じゃないし、それを防ぐためでしょ?行って来なよ」

「ははははっ、ふふ、じゃあ、行こうかな」

「あ、でも帰ってきてくれると嬉しいな」

 何がおかしいのかは判らないけど、アスファルは国に帰ることにしたようだ。

 背後に気配を感じ振り返ると、リシウェントがいた。

「小僧、まぁ礼を言っておく。ハヌドゥノアスは帰る気になった」

「いいえ。それよりも例はいいので欲しいものがあるんですけど」

「図々しい奴め。言ってみろ」

 アスファルは外に出ていった。柩だろうか?いいけれど。聞きやすいし。

「レウロがアスファルに会ったとき、アスファルは言いました。今更何の用かと。永遠の刻を生きる貴方達が今更と言うほど昔に、あの二人に何があったんですか」

 リシウェントは笑った。声を上げるでもなく、あの歪んだ口だ。すると、目を隠していたシルクハットを取った。

 手を入れ、何やら探っている。

「わしは無機物の転移が苦手でな。いつもこれを使うのだ」

 僕がジッとシルクハットを見ているのに気が付いて説明する。

 シルクハットを取って現れたのは、鷹のように鋭い眼光。黒い髪は僕より少し短い。見た所は三十歳程だろうか。

 シルクハットから手を抜くと、手には磨き上げられた木の杖が握られていた。

「くれてやる」

 取り出した杖の先を僕に向け言う。普通は柄の方を向けるんじゃないだろうか。

「えと、いただきます」

 くれるというので貰っておこう。創造主の私物だ。何かあるのかも知れない。

「てゆうか、さっきの質問は?」

「さぁな。わしは知らん。しかし地球を造るにあたって、レウロとハヌドゥノアスは人間を造ろうとしていた。結局、ハヌドゥノアス一人でやったがな。その経緯知らん」

 そう…と呟いて、僕は貰った杖を見た。去ろうとするリシウェントを引き留めて、尋ねる。

「貴方は何を造ったの?」

 にやっと笑って答えた。

「土台」

 言うと、擦り切れた黒い革靴をコツコツいわせドアへと消えていった。

 それを追いかけて、吃驚した。

「…アスファル」

 そこにいたアスファルは、いつもの麦藁帽子でもなく、七分のシャツでも、ジャージでも、ましてや軍手でもスコップを持ってもいなかった。

 黒い服。どこか古代アジアの中国。その伝統吹くに似ている。長めの襟。袖は長く広い。しかしそうといえないのは何カ所かに付けられたベルトのせいだろう。

「エルヴィス、二、三日で戻るよ。それまでは鍵を掛けておくね」

「その姿も久しいな。行くぞ」

 リシウェントは空間を裂いてその中へと消えた。アスファルもそれに続いて入っていく。裂け目が消える前、アスファルは振り返って手を振った。

 二人が完全に消えたので、僕は貰った杖を持って自室へと戻った。

 ポスターのドアを閉めると、カチャ、と鍵の掛かる音がした。

「ふー…」

 先程のアスファルの姿を思い出して呟く。

「…神様みたいだ」