私は昔から、変な子供だったらしい。
幼稚園で描く絵は、いつも黒のクレヨン一色で。それは花が枯れている絵だったり、塗りつぶされた動物だったり。
小学校の卒業文集には、世界の醜さを懇々と書き綴った。
そのころにはもう、私の内面はほぼ完成していて、ひたすらに世界が嫌いだった。
中学に上がると、私は外界との接触を拒み、いつでも一人でいることを好んだ。他人との接触を拒んだ訳だから、虐めの対象になるのに時間はそう掛からなかった。
教科書が無くなったり、机に油性マジックでくだらないメッセージ。私に死んで欲しいなら、貴女が私を殺せばいいのに。
直接的な暴力などはなかったし、別に何と思うわけでもなく過ごした。
父も母もごく普通の人間だった。
だから、私を不気味がっていた。
自分が嫌いで。人間が嫌いで。有機物も無機物も関係なく全てを嫌っていた私。だけれどみんな平等だった。全部、嫌い。
中学を卒業すると、近郊の高校に入った。私は行く気など更々なかったのだが、どうしても言ってくれと両親に頼まれたので行くことにした。どうせ、どこにいても変わらない。
当然というように、私への虐めは始まった。今までと変わらない。
無くなる上靴、切り刻まれた教科書、机に飾られた花。そして、中学ではなかった肉体的な暴力。
殴られたり蹴られたり。ああ、やっぱり痛いんだなと思った。頭上からバケツいっぱいの水を掛けられたときは、仕方がないのでそのまま授業を受けた。
ある日、いつもと違う帰宅路を何となく通った。すると視界に移ったのは古い廃ビル。なぜか私はどうしようもなく惹かれたのだ。その一帯から忘れ去られたような、惨めさに?人間のいなさそうな、廃墟に?よくは判らないけれど。
私は足を踏み入れた。
上り始めたのはよかったが、いかんせん頂上が高かった。私はゆっくり、至極マイペースで先を進んでいった。
着くと男がいた。どうしてか私は気にすることなく男に近づき、隣にちょこんと座り込んで、見上げた。目が合うと文句を言う出もなく、男は私を見て微笑んだ。
それから少しの愚問愚答。
楽しかった。初めてだった。
虐めについて初めの頃教師は聞いてきたが、私が別にと言ってからは一度も何も言わない。公然の秘密だ。
罵倒の言葉はたくさん受けた。死ねとかウザイとか色々言われたけれど、何も思わなかった。
ただ、一度問われたのだ。
お前何で生きてんだよ
それは死んでいないからです、としか答えられないじゃないか。
彼女等にとっては変わらないいつもの罵倒。
だけれどそれは、私の耳にいやに残った。
私は学校を辞めた。
母は精神的にかなり参っていたらしく、私が希望した一人暮らしに拒否の意は見られなかった。父も発狂寸前の母を見かねてか、承諾してくれた。
一人暮らし、無職。それでは生活できないので、私は働かなければならない。でも、人間と向かい合う仕事などしたくはない。私はただパソコンに向かって、ひたすら文書を打つ在宅ワークを仕事に選んだ。仕送りもあるので、それで事足りた。
私の家は極端に物が少なかった。有機物無機物関係なしにすべてが嫌いな私は、嫌だったのだ。雑然とした、埋め尽くされた部屋が。三部屋ある内のひとつには、何も置かなかった。そこが、一番物が少ない気がした。
それでも壁や床や、酸素や窒素や二酸化炭素。
この部屋にいると幾分楽だけど、どうしても思い知らされる。
世界に私の居場所など、ありはしないのだと。
ああ。彼に会いたい。
私は家を飛び出した。
あの廃ビルでの愚問愚答から、1年が経っている。あの男がいるとも思えなかたけれど、それしか知らないのだった。
でも。息を切らし、まともに呼吸ができなくなるまでがむしゃらに走った先に、男はいたのだ。
私は乱れた呼吸が整うまでじっとして、それから彼の前へ姿をさらした。
一年前と変わらない。
ここに、この男の側にいると、許される気がするのだ。
私が生きていても、許される、気がするのだ。
通い詰める私に、彼は尋ねた。
「何で死なないの?」
夢の終わりが来た。
私がいてもいい場所の筈だった。生を許される場所かと思っていた。幸せを、感じられる場所の筈だった。
すべて私の、勘違いだったのだろうか?
私は逃げるようにその場を離れた。
家に帰って引きこもる。
そしてただ男の言葉を反芻させた。
ただ横になり、焦点の合わぬ目をそのままに。睡眠をとるわけでもなく、あの何もない部屋にいた。私は考える。死なない理由を。
今まで生きてきたのはどうしてだろう。考えても答えは出ない。楽しいことなど一つもなかった。辛いことも一つもなかった。世界にただ在るだけの有機物だったではないか。母も父も、そう云う役割なだけでプラスもマイナスの感情も抱かなかった。
だけれど、彼は?
彼の側にいると、許される気がした。幸せを感じた。悲しみを感じたのでは、なかっただろうか。
はらはら、はらはら。
伝うのは、涙だろうか。
貴方が好きです。貴方が好きです。
私がこの世界で、初めて幸せを感じさせてくれた貴方が。大好きです。
生きたいと、願えるほど。
ああ、明日は。
彼に会いに行こう。
女サイド。