1
「ねぇ」
「何だい?」
使われなくなり捨てられた廃ビルの屋上。綺麗とは言い難いコンクリートの床。申し訳程度に付けられた柵。
必要とされなくなって、そのまま自分に閉じこもった私。作り物を思わせるほど綺麗な顔の男。気まぐれに愚問愚答。
「どうして人は誰かと生きようとするの?」
「誰も一人では生きられないからさ。利用して、利用されて。お互い持ちつ持たれつ。それでいいとは思わない?」
「どうして人は生きてるの?」
「生まれて来たからさ。そして世界を知る。存在していなければ何もできないから、生に執着する」
「どうして人は死ぬの?」
「寿命さ。全てのものには終わりが来る。何が原因であれ死んだ時が寿命だ。大丈夫。世界もいつか終わるから」
うん。よかった。私は世界が嫌いだから。醜い人も。愚かな生き物も。儚い植物も。自然なものも、人工なものも、漂ってる酸素さえ。全部嫌い。無くなっちゃえばいい。
「ねぇ」
「何だい?」
ごろりと地べたにねっころがる。眩しすぎる太陽が忌々しくて、目を閉じて横を向く。
「貴方だぁれ?」
「今更それを訊くのかい」
男は口を歪めて笑う。その問にだけは、答えてくれなかった。
2
「おや、久しぶりだね。まだ生きていたようで何より」
降り出しそうな曇天。灰色に覆われた青と光。
「1年程かな?あれから」
「丁度1年。貴方何時もいるのね」
陶器人形の様な綺麗な顔を微笑ませて私を見る。
閉鎖されたはずの小汚い廃ビル。その屋上。
裏口を塞ぐ板の隙間から入り込んだ私と、作り物めいた綺麗な顔の男。暇つぶしに愚問愚答。
「お話ししに来たの」
「何だい?」
「どうしてここにいるの?」
「趣味かな。ここから地を歩く人間を見るのが好きなんだ。まるでゴミみたいだろう?」
「貴方生きてる?」
「脈々と心臓は鼓動を打っているよ。生命活動をしているかという点では生きているし、人生謳歌しているかと問われればYESとは言い難いけれど」
「ずっとここにいるの?」
「まさか。これでも人間してるから、寝床には帰っているさ。大抵ここにいるけどね」
ちょっと吃驚。この男人間だったんだ。勝手に、第六感が違うと告げていた気がしていたのに。
「貴方だぁれ?」
「またそれを訊くのかい」
男は苦笑する。やっぱりこの問には、答えてくれなかった。
3
「おや、この間ぶり」
「…」
今日偶然、辞めた学校の同級生に会った。
あんなにも愚かな人間。それでも私は殻に閉じこもる。
「…今日は君に尋ねてもいいかい?」
もうすぐ壊されるらしい満身創痍の廃ビルの屋上。三度目の邂逅。思いもよらず愚問愚答。
「どうしてここに来たんだい?」
「誰もいないから。何もないの。知らないの。ずっと独りぼっちだから」
「世界を罵倒しつつも寂しいと深層で訴えるのはなぜ?」
「誰も一人でいきられないから。そう言ったのは貴方でしょ?独りだと頼るものがないという強迫観念にも似た感情。それから出たい。だから誰かを利用したいの」
「誰かを愛したり愛されたことはあるかい?」
「どうかしら。人間の記憶なんてものはあまりにも曖昧。時が経てば記憶は擦り切れ、大切な記憶も忘れてしまう」
「君は誰?」
「私は」
「君を決定付けるものは何?誰も君という人を知らず、世界の崩壊を望む君。世界にすら認められることを拒んだ君は、一体だぁれ?未だ生きているのはどうしてだい?」
「…生きていても意味はない」
「じゃぁ、何で死なないの?」
私は表情を浮かべていない。この問には、答えられなかった。
4
「こんにちは」
空から地へと容赦なく叩き付ける雨粒。激しい雨は汚れたコンクリートを濡らし水たまりを幾つも作り出す。
本人の自己申告によると人間らしい男は、僅かに目を見開いて何やら驚いている。
「…今日は。またここに来るとは思わなかったよ」
どうにか壊されずに済んだらしい崖っぷちのビル。どちらにせよ買われたのなら、近い内に来られなくなるだろう。傘もささず、お互いずぶ濡れ。返事を持って愚問愚答。
「貴方は世界が好きなの?」
「好きだね。君が嫌いだというところが好きなんだ。めまぐるしく生き急ぐ人々。ちっぽけで、愚かで、生き物がなれ合いながら生きているようなところがね」
「貴方、自分好き?」
「はは、ナルシシズムに走らない程度には好きなんじゃないかな?」
「ほんとうに?」
「…もちろんさ」
私には、それが正しく聞こえなかった。貴方は本当に、自分が好き?
「この間の答え、見付けて来たの」
「へぇ?何だい」
「私、貴方好きだわ」
無表情で愛の告白。無感動に男を見つめる。
「…」
私の答えに、男は何も言えずに瞠目した。
5
「返事を聞きに来たの」
昨日の影を残す塗り込めた灰色の空。買われてなおボロボロのままの廃ビル。屋上には雨の名残が水たまりとなってそこにあった。
「…君は、それでどうしたいの?」
「別に、どうしたいとも思わないわ。ただここに貴方がいれば」
男にいつもの笑みはない。湿った空気が緩やかに吹き、頬を撫でて行く。コンクリートの床。たまった雨水。覆われた雲で光は射さない。貴方を知るため愚問愚答。
「僕の何が好き?」
「恋愛に理由なんて無いっていうじゃない?陳腐だけど的を射ていると思うわ」
「僕が誰かも知らないのに?」
「貴方はそうとは見えない人間よ。私、貴方が人間じゃないって言われたら信じられるもの。私の貴方への認識じゃ不十分?」
「僕と君の思考には大きな差があるよ」
「私は貴方以外の全てが嫌いで、貴方は自分以外の全てが好きだというところ?特に気にならないわ」
貴方は私を見て、下がり眉毛で微笑んだ。それは苦笑というのかも知れないけれど、私にはどこか、貴方が泣いてしまいそう見えた。
「…君はだぁれ?」
「私は貴方を好きな人間よ」
貴方は微笑んで私を見た。私も、笑ったのかも知れない
6
私が訪れれば、男はいつでもいた。相変わらず柵の真ん前から何メートルも下のゴミみたいに小さい人間を眺めている。
私に気付くと振り返り、陶器人形の顔を緩ませて微笑む。私がそれに微笑み返すことはなく、いつも無表情だった。
廃ビルは変わることなくボロボロで、地上よりは幾分も空が近い。快晴。互い当然と愚問愚答。
「世界はどうしてできたの?」
「神様が気まぐれを起こしたのさ。地球は幾多の偶然の賜物だけれど、それが一番の偶然だっただろうね」
「人間はどうして争うの?」
「人は欲深き生き物だからね。信念や正義と云う大義名分で正当化して、奪うのさ」
「世界はいつか、シアワセになるかしら」
「断言しよう。それは壊れるまで訪れない」
男の隣にしゃがみ込み、私もまた下を見る。忙しない人間の群生は、見方によっては虫の集まりだ。
視線を感じて見上げると、男は微笑んで私を見ている。
ふと、前から気になっていた疑問が浮かんだ。
「ねぇ」
「何だい?」
「このビル買ったの、貴方?」
「そうだよ」
「どうしてか聞いてもいいかしら」
男はにっこり笑って、答えることはしなかった。
私は自惚れても、いいのだろうか。
7
古ぼけた廃ビル。所有者はあの男らしいコンクリートのビル。見上げれば薄く広く覆う灰の雲。高めの湿度。今日は雨が降るのかも知れないと思いつつも、それが嫌ではない私。
すっかりここへ通うことが日常となった今日この頃。寝転がる私が右上方を見れば男と目が合う。これが常と愚問愚答。
「あなたは人間が好きだけれど、やっぱり私は嫌いだわ」
「君も変わらないね。変われとは言わないけれど。でもやっぱり僕にはできないから、君は自分を好きになって欲しいな」
「無理よ。だって私は、嫌いだと自らが云うものを糧に生きているだものねぇ。あなたはどうして人間が好きなの?」
「みっともないだろう?とても愚かしい。だからだよ。僕みたいにそれに気がついてしまうと駄目なんだ。自らが優位に立った気がして安心し、その自分に嫌悪する」
「あなた、シアワセ?」
「ああ、シアワセだよ」
名前すら互い知りはしないのだけれど、それで十分なのだ。ただそこに、在るのであれば。
でも、知ってしまったから、これだけは。私が支えにしたいの。
「ねぇ」
「何だい?」
「あなた、私好き?」
男は微笑んで、言った。
「ああ、好きだよ」
私を抱きしめながら。
この問答は、もう愚問愚答なんかじゃない。
私と彼の、「質疑応答」。
初めは葉書サイズ1枚分だけでした。つまり1だけ。
でも、何やら続きを思いついたので書いてみたら楽しくて続きましたねー。
あ、これはとあるサイト様に別P.Nで投稿させていただいておりました。
もしこれ知ってる!とかなってもパクリではないです。本人ですから。