「ねぇ」

「何だい?」

 使われなくなり捨てられた廃ビルの屋上。綺麗とは言い難いコンクリートの床。申し訳程度に付けられた柵。

 必要とされなくなって、そのまま自分に閉じこもった私。作り物を思わせるほど綺麗な顔の男。気まぐれに愚問愚答。

「どうして人は誰かと生きようとするの?」

「誰も一人では生きられないからさ。利用して、利用されて。お互い持ちつ持たれつ。それでいいとは思わない?」

「どうして人は生きてるの?」

「生まれて来たからさ。そして世界を知る。存在していなければ何もできないから、生に執着する」

「どうして人は死ぬの?」

「寿命さ。全てのものには終わりが来る。何が原因であれ死んだ時が寿命だ。大丈夫。世界もいつか終わるから」

 うん。よかった。私は世界が嫌いだから。醜い人も。愚かな生き物も。儚い植物も。自然なものも、人工なものも、漂ってる酸素さえ。全部嫌い。無くなっちゃえばいい。
「ねぇ」

「何だい?」

ごろりと地べたにねっころがる。眩しすぎる太陽が忌々しくて、目を閉じて横を向く。
「貴方だぁれ?」

「今更それを訊くのかい」

 男は口を歪めて笑う。その問にだけは、答えてくれなかった。




「おや、久しぶりだね。まだ生きていたようで何より」

 降り出しそうな曇天。灰色に覆われた青と光。

「1年程かな?あれから」

「丁度1年。貴方何時もいるのね」

 陶器人形の様な綺麗な顔を微笑ませて私を見る。

 閉鎖されたはずの小汚い廃ビル。その屋上。

 裏口を塞ぐ板の隙間から入り込んだ私と、作り物めいた綺麗な顔の男。暇つぶしに愚問愚答。

「お話ししに来たの」

「何だい?」

「どうしてここにいるの?」

「趣味かな。ここから地を歩く人間を見るのが好きなんだ。まるでゴミみたいだろう?」

「貴方生きてる?」

「脈々と心臓は鼓動を打っているよ。生命活動をしているかという点では生きているし、人生謳歌しているかと問われればYESとは言い難いけれど」

「ずっとここにいるの?」

「まさか。これでも人間してるから、寝床には帰っているさ。大抵ここにいるけどね」

 ちょっと吃驚。この男人間だったんだ。勝手に、第六感が違うと告げていた気がしていたのに。

「貴方だぁれ?」

「またそれを訊くのかい」

 男は苦笑する。やっぱりこの問には、答えてくれなかった。




「おや、この間ぶり」

「…」

 今日偶然、辞めた学校の同級生に会った。

 あんなにも愚かな人間。それでも私は殻に閉じこもる。

「…今日は君に尋ねてもいいかい?」

 もうすぐ壊されるらしい満身創痍の廃ビルの屋上。三度目の邂逅。思いもよらず愚問愚答。

「どうしてここに来たんだい?」

「誰もいないから。何もないの。知らないの。ずっと独りぼっちだから」

「世界を罵倒しつつも寂しいと深層で訴えるのはなぜ?」

「誰も一人でいきられないから。そう言ったのは貴方でしょ?独りだと頼るものがないという強迫観念にも似た感情。それから出たい。だから誰かを利用したいの」

「誰かを愛したり愛されたことはあるかい?」

「どうかしら。人間の記憶なんてものはあまりにも曖昧。時が経てば記憶は擦り切れ、大切な記憶も忘れてしまう」

「君は誰?」

「私は」

「君を決定付けるものは何?誰も君という人を知らず、世界の崩壊を望む君。世界にすら認められることを拒んだ君は、一体だぁれ?未だ生きているのはどうしてだい?」

「…生きていても意味はない」

「じゃぁ、何で死なないの?」

 私は表情を浮かべていない。この問には、答えられなかった。 




「こんにちは」

 空から地へと容赦なく叩き付ける雨粒。激しい雨は汚れたコンクリートを濡らし水たまりを幾つも作り出す。

 本人の自己申告によると人間らしい男は、僅かに目を見開いて何やら驚いている。

「…今日は。またここに来るとは思わなかったよ」

 どうにか壊されずに済んだらしい崖っぷちのビル。どちらにせよ買われたのなら、近い内に来られなくなるだろう。傘もささず、お互いずぶ濡れ。返事を持って愚問愚答。

「貴方は世界が好きなの?」

「好きだね。君が嫌いだというところが好きなんだ。めまぐるしく生き急ぐ人々。ちっぽけで、愚かで、生き物がなれ合いながら生きているようなところがね」

「貴方、自分好き?」

「はは、ナルシシズムに走らない程度には好きなんじゃないかな?」

「ほんとうに?」

「…もちろんさ」

 私には、それが正しく聞こえなかった。貴方は本当に、自分が好き?

「この間の答え、見付けて来たの」

「へぇ?何だい」

「私、貴方好きだわ」

 無表情で愛の告白。無感動に男を見つめる。

「…」

 私の答えに、男は何も言えずに瞠目した。




「返事を聞きに来たの」

 昨日の影を残す塗り込めた灰色の空。買われてなおボロボロのままの廃ビル。屋上には雨の名残が水たまりとなってそこにあった。

「…君は、それでどうしたいの?」

「別に、どうしたいとも思わないわ。ただここに貴方がいれば」

 男にいつもの笑みはない。湿った空気が緩やかに吹き、頬を撫でて行く。コンクリートの床。たまった雨水。覆われた雲で光は射さない。貴方を知るため愚問愚答。

「僕の何が好き?」

「恋愛に理由なんて無いっていうじゃない?陳腐だけど的を射ていると思うわ」

「僕が誰かも知らないのに?」

「貴方はそうとは見えない人間よ。私、貴方が人間じゃないって言われたら信じられるもの。私の貴方への認識じゃ不十分?」

「僕と君の思考には大きな差があるよ」

「私は貴方以外の全てが嫌いで、貴方は自分以外の全てが好きだというところ?特に気にならないわ」

 貴方は私を見て、下がり眉毛で微笑んだ。それは苦笑というのかも知れないけれど、私にはどこか、貴方が泣いてしまいそう見えた。

「…君はだぁれ?」

「私は貴方を好きな人間よ」
 貴方は微笑んで私を見た。私も、笑ったのかも知れない





私が訪れれば、男はいつでもいた。相変わらず柵の真ん前から何メートルも下のゴミみたいに小さい人間を眺めている。

 私に気付くと振り返り、陶器人形の顔を緩ませて微笑む。私がそれに微笑み返すことはなく、いつも無表情だった。

 廃ビルは変わることなくボロボロで、地上よりは幾分も空が近い。快晴。互い当然と愚問愚答。

「世界はどうしてできたの?」

「神様が気まぐれを起こしたのさ。地球は幾多の偶然の賜物だけれど、それが一番の偶然だっただろうね」

「人間はどうして争うの?」

「人は欲深き生き物だからね。信念や正義と云う大義名分で正当化して、奪うのさ」

「世界はいつか、シアワセになるかしら」

「断言しよう。それは壊れるまで訪れない」

 男の隣にしゃがみ込み、私もまた下を見る。忙しない人間の群生は、見方によっては虫の集まりだ。

視線を感じて見上げると、男は微笑んで私を見ている。

 ふと、前から気になっていた疑問が浮かんだ。

「ねぇ」

「何だい?」

「このビル買ったの、貴方?」

「そうだよ」

「どうしてか聞いてもいいかしら」

 男はにっこり笑って、答えることはしなかった。

 私は自惚れても、いいのだろうか。





古ぼけた廃ビル。所有者はあの男らしいコンクリートのビル。見上げれば薄く広く覆う灰の雲。高めの湿度。今日は雨が降るのかも知れないと思いつつも、それが嫌ではない私。

すっかりここへ通うことが日常となった今日この頃。寝転がる私が右上方を見れば男と目が合う。これが常と愚問愚答。

「あなたは人間が好きだけれど、やっぱり私は嫌いだわ」

「君も変わらないね。変われとは言わないけれど。でもやっぱり僕にはできないから、君は自分を好きになって欲しいな」

「無理よ。だって私は、嫌いだと自らが云うものを糧に生きているだものねぇ。あなたはどうして人間が好きなの?」

「みっともないだろう?とても愚かしい。だからだよ。僕みたいにそれに気がついてしまうと駄目なんだ。自らが優位に立った気がして安心し、その自分に嫌悪する」

「あなた、シアワセ?」

「ああ、シアワセだよ」

名前すら互い知りはしないのだけれど、それで十分なのだ。ただそこに、在るのであれば。

でも、知ってしまったから、これだけは。私が支えにしたいの。

「ねぇ」

「何だい?」

「あなた、私好き?」

男は微笑んで、言った。

「ああ、好きだよ」

私を抱きしめながら。

この問答は、もう愚問愚答なんかじゃない。

私と彼の、「質疑応答」。



 

 



初めは葉書サイズ1枚分だけでした。つまり1だけ。
でも、何やら続きを思いついたので書いてみたら楽しくて続きましたねー。
あ、これはとあるサイト様に別P.Nで投稿させていただいておりました。
もしこれ知ってる!とかなってもパクリではないです。本人ですから。