僕が今朝言い渡されたのは、間違いなく死刑宣告だっただろう。
宣告した方が。
もしそれを実行して確実に困るのは、宣告者であるはずの娘であろう。
「たまにはパパが作って!!」
小学校4年生であるこの娘は、知っているはずなのだけれど。
僕の、凄まじいまでの……料理音痴を。
父と娘と夕御飯
事の始まりはなんだったのか。思い返そうにも心当たりがない。
いつも通り、しがない物書きである僕は書斎に閉じこもっていて、ひたすら原稿用紙と睨めっこをしていた。集中していたのか、娘の帰宅には気が付かなくて。ご飯だと呼ばれたのは7時頃。
一息つこうと書斎を後にし、居間に行く。
食卓テーブルの上にはほかほかと暖かい夕食がすでに準備されており、娘はいつもの席に座って僕を待っている。
その向かえに座り、いただきますと両手を合わせて茶碗を左手に持った。その様子をじっと見つめている娘にどうかしたのかと問いかけると、
「なんでもないわ。どうぞ召し上がれ」
にっこり笑って言われたので、疑問符を浮かべつつ白菜のおひたしへと箸を延ばした。シャリシャリとして美味しく、ご飯も進む。みそ汁には豆腐とワカメが入っており、具を2つ3つ口に運んでからずずずとすする。うん。出汁から取っているだけあるなぁと関心。
娘はまだ食べていないようで、本当にどうしたのだろう。
「娘や。せっかく作ったのだろう?食べないのかい」
「いいのよ。パパが食べているところを見ていたいの」
おかしい。いつもの娘ではない。はっきり言うが、娘はこんなしおらしくはない。
娘の様子を伺いつつ、トンカツとキャベツを同時に口に放り込み咀嚼。うむ。我が娘ながら実に美味である。
「ねぇパパ」
「ん?なんだい娘や」
トンカツに現を抜かしている内に、娘はにっこりと笑みを絶やさぬまま僕に問いかけた。
「今日がなんの日か、憶えている?」
「うん?母さんが出ていった日だね」
…お恥ずかしながら、僕は女房に逃げられた口である。僕のずさんなところがどうにも気にくわなかったらしい。余所に男を作って一年前に出ていってしまった。娘も連れていこうとしていたが、娘は、
『パパ一人にしたら重度の食中りであの世行きだもの。私がパパの面倒御見るわ』
なんて言って残ってくれた。反論できないあたりがなんとも切ない。
「そうね。ママが出ていった日だわ」
「…?」
「ママが、出ていった、日だわ」
娘よ、そんな区切って言わなくてもいいではないか。
今でこそあっさりと口にできるほどにはなったが、当初は随分と落ち込んだものだ。その月は、初めて原稿の締め切りを破った。やけ酒というものも初めてして、次の日二重の後悔が僕を襲った。
「…………そうよね。パパに甲斐性なんてものがあったら、ママは出ていかなかったわよね」
「娘や…今日は、随分と機嫌が、気分が悪いのかな?」
「っ私だって、色々と考えてるのよ!!脳天気なパパとは違うんだから!」
言うとみそ汁をご飯にかけ流し込み、トンカツとキャベツをもの凄い勢いで食べ終えるとおひたしをつまんで水でゴクンと流し込んだ。
「プハァッ」
小学生がそれはないだろう。まるで、ビールを飲み干した後のOLのようではないか。
呆気にとられて娘を見ていると、キッと睨まれて怒鳴られた。
「たまにはパパが作って!!」
「…へ?」
「明日の晩ご飯はパパが作って!!」
「ちょっ!娘や!?」
「ふんっ」
娘はどすどすと音を立てて二階の自室へと籠城した。
事実娘の部屋まで行っても開けてもらえるどころか返事すらなくて、娘の成長にほろりとしたものである。
「娘よ…何がいけないのか僕にはわからないよ」
全く持って、どうしたものか。
困り果てた僕は、とりあえず女房の置いていった料理の本に目を通すことにした。娘は明日の夕飯まで時間をくれた。朝はいいのだろう。…おそらく。
本を引っぱり出してきて見てみると、そこには未知の世界が広がっていた。
「神業だ…!」
細々とした手順が実に事細かに書かれており、その一つ一つがとても難しいことが伺えた。
「こんなもの一介の主婦ができるのか…!?女房は、実はもの凄い料理人だったのだろうか?」
あまりの驚きに、僕はどのような本なのか表紙を見てみた。
『初めての料理』
「………」
僕は絶望した。
娘や、父さんやり遂げる自信がないよ…。
遅くまで料理本と睨めっこした僕は当然ながら寝坊してしまい、起きた頃に娘はとうに学校へと行った後であった。
テーブルには朝ご飯がラップして置いてあり、ありがたみを感じた。
それをレンジで暖めて食べると、僕は決心して商店街へと繰り出した。
「おや物書きの先生じゃないか。珍しいこともあるもんだね。一人なのかい?」
「ええそうなんですよ。娘は今学校ですし」
商店街に出ると、誰かしらが親切に話しかけてくれる。八百屋の店主もその一人で、頼んだ大根とかぼちゃ、トマトを袋に詰めながら話している。
「それにしても、この組み合わせでお嬢ちゃんは何を作るつもりなんだろうね?」
「あ、今日は僕が」
「えぇ!?先生が!?…あ、こりゃ失敬」
僕の料理音痴は、実は有名だった。娘がどれだけ悲惨なのかを言いふらし、決して調理を勧める事なかれと触れまわっていたのだ。
「いえ、今日は鍋でも作ろうかなと」
切って煮込むだけ。これならできるかも知れないと、この料理に行き着いてから昨日はダウンしたのだ。
「ああ、そうなのかい。………大丈夫なのかね」
「正直、かなり不安です」
「だよなぁ。そうだ先生。こんなものがあるんだけど、どうだい?」
棚の後ろから取り出した一袋を渡され、どれと裏面を見た。
「…!こ、これは…!!」
「どうだい。おひとつ」
「ええ、5袋いただきます」
チーン
「まいどあり〜」
「なぜだ…!」
僕は一度取り戻した希望をまたもやなくしていた。
「5袋買っておいてよかった…」
いや、よく考えなくてはならない。後4袋しかないのだ。
しかし、何故だろう。作り方は至って簡単。袋の中身を熱湯で溶かし、レトルトの具材を合わせて冷やすだけ。
だが溶かす段階でミスが起こった。
「なぜ溢れたのだろうか…」
ちょっと隠し味に、と入れたタバスコが悪かったのか。甘みを出そうと入れた黒砂糖か。砂糖を入れすぎたかと、塩を入れたのがいけないのか。月見にしようと生卵を入れたのがまずかったのか…。
「女房や、娘や。今までかけた苦労を今更になって思い知るよ…」
僕はドロドロに汚れた電子レンジを掃除しながらそう思った。
「…ただいま」
玄関から、ボソリと声が聞こえた。日は沈みかけ、いつもより確実に遅い娘の帰宅だった。
「娘や、お帰り」
僕は笑って娘を出迎えた。
「…!パパ、どうしたの。やり遂げた感はひしひしと伝わるけれど、なんだかとても満身創痍よ」
「聞いておくれよ、僕にも料理ができたんだ!!奇蹟だとは思わないかい?いや、まさに奇蹟だよ。同じものをもう一度作れと言われても、作れるかなどかなり怪しい」
娘は目をまん丸くして、バタバタと台所に駆けていった。そして絶叫。
「きゃーーーーー!!!」
「娘や!?どうしたんだいっ?まさかゴキ…」
「それ以上言わないで!!どうもこうもないわよ!何この惨状!」
「僕の奮闘の証じゃないか」
「酷い、酷すぎる!いくら作れと言ったからって、私の聖地をこんな、こんな…!」
わなわなと震える娘に申し訳なくなって、肩を落として謝る。
「ごめんよ。作れたことに感激していて、娘の神聖な台所をこんなにも穢してしまった…」
「もう…いいわよ。パパってほんと子供みたい。後で一緒に片付けましょう。ところで、本当にできたの?」
「そうなんだ!見ておくれ」
僕は娘の手を取って、食卓テーブルへと誘う。
「ぷっ…あははははははははははは!!!」
「どうかしたかい?」
「だって、だって!あはははは!あんなにも自信満々にしてるからっ喰えるもんが出てくると思ったのに!」
「えぇ〜?」
「これって寒天?あ、わかった。“かんてんぱぴぃ”でしょ!あれでこの有様じゃ、パパに料理なんて一生無理ね!」
はぁー、と大きくため息を吐くと、娘は馬鹿らしくなっちゃったと笑う。
「どうしたんだい」
「ほんとはね、ママがいなくて寂しかったのよ。でもパパったらなんでもない風で、腹が立ったの。それで困らせてやろうと思ったのよ」
「娘や…」
「でもいいわ。パパ見てたらそんな思いも馬鹿らしくなっちゃった。パパはいつでも家にいるし、私に対して冷たいわけでもない。むしろ鬱陶しいくらい優しいわ」
娘の抱く気持ちにまるで気付く事ができず、寂しかったなどと言わせてしまった。僕はいつも娘に頼りっきりで、娘がいなくば本当に死んでしまうに違いない。
それなのに、僕は。
「さ、食べましょ」
「え?食べられるのかい?」
「食べるわよ。せっかくパパが作ってくれたんだから」
娘がいつもの席に座る。そして、僕も娘の向かいの席に。
娘が一口食べて、まずいと言って笑っている。僕も食べて、正直喰えたもんじゃないと思った。でも、僕も娘も、笑いながら平らげていく。
ふと、娘が寂しかったという言葉を思い出す。
「娘や…僕、再婚考えてみるよ」
「ダメよ!パパは私のなんだから!」
「へ?」
「もしパパが女を連れてきても、私が認めた人じゃないと許さないわよ!」
「………娘や。立場が逆ではないかい?」
「そうかしら」
こんな日も、あっていいのかも知れない。
ピヨ川さんに貰った動画のお礼として書いた品。
お題を貰って、それが「かんてんぱ●」
私知らなかったんですけど、有名なんですかね、「かんてん●ぱ」