忘れた事などなかったのに。

 塔にいても、木々に触れていても。

 解放軍に入った時だって。

 それなのに。いつの頃からだろう。

 この場所の居心地が良くて。

 人というものは暖かくて。

 忘れていたんだ。

 僕は、紛い物なのだ。




歯車は止まる事なく




 夢を見た。

 それは久しぶりだったけれど、見慣れた懐かしいものだった。
 灰色の世界。停滞された秩序の未来。この世界はそれへと向かっている。

 この世界は他の百万世界と違って、紋章の力、意志による未来決定が弱い。
 風に見せられてきた幾多の世界。混沌と秩序のどちらかへとなって行っていた。この世界も秩序へと向かっているが、紋章以外の別の力によるものが大きい。

 ヒクサク。

 牢獄に押し込められた僕の元に、ヒクサクはよく訪れた。僕とあいつを造る以外の実験にヒクサクは加わらず、成功作ではなく失敗作の僕に話をした。
 造られてから言葉を発したことはなかったが、言葉を知っているとわかっているのかいないのか物語のように話をされた。


『最初に「闇」があった』


初めて聞いたのは創世の物語。

そこら辺に転がっている僕に、牢の前に座り込んでヒクサクは語った。
そしてレックナート様に連れ出してもらう前、最後に聞いたのがあの話だった。


『私はね、円の願いに同調してしまったんだ。そして円よりも強くそれを望んでいる。他の世界の終着よりも早く、この世界は始まりに付けるよ。秩序という形で』


 そして一言告げてその場を去った。
 それが、最後に聞いたヒクサクの声。


『お前はその時、どうするのだろうね?』




 ロリマー地方を解放し、戦士の村を解放軍に迎えた。これで戦力は互角。十分に戦う事ができるだろう。しかし決定打でなければならない。この国に住む人々全てに関わるのだ。勝てそうだ、ではいけない。必ず勝てる。そうでなくては、ここまで荒れた状態で「赤月」に戻ることなど不可能なのだから。

 そのために、竜洞を得なくてはいけない。今はその準備に追われている。竜洞は武力で攻め落とす訳ではないから、その点で魔法兵団長としては忙しくない。

「…」

 おかしいな。いつもなら、もう色は戻っているんだけれど。

 灰色の世界を夢に見ると、僕の視界からも色は消えた。でもそれは、通常1時間かそこらで元に戻るものであって、永久的ではなかった。
 その起床から一時間後はとうに過ぎたが、色は失われたままだ。
 でも、多少見づらいがそれでしかなく、特に困るものでもなかった。

 別に、このままでもいい。

 今日は仕事も少なく、久しぶりに時間が空いた。手を着けていなかった本がまだあったはずだから、それを読もう。



コンコン

 どれくらい経っただろう。中程まで本を読んだ頃、部屋にいた僕の元へ誰かが訪れた。

「誰?」

「ラーグ。悪いけど仕事の追加」

 扉の外でバサバサと書類の存在を示す。パタンと本を閉じて、入ればと告げる。

「軍主自らご苦労様」

「まぁ、そう気にしないでよ」

 ラーグは僕の部屋を見渡して、言った。

「…なんか意外な部屋だなぁ」

「は?」

 僕も自分の部屋を見渡す。

 壁の大部分を覆っている天井までの高さの本棚。二つ続いて置かれた棚には、ちょっと乱雑に、有り体に言えばごちゃごちゃと魔術具や顕微鏡、炭酸マグネシウム・塩化銅などの物質。ビーカーにフラスコ、ガラス棒や濾過器なんて実験道具。床を見れば、入りきらずに積み上げられた本の上に本棚から出した広げられた本が乗っかっている。それがいくつか。置ききれなかった魔術具や実験器具も、箱に入れられ床に何箱か積み上げられている。

…まぁ、汚い。

「なんか、あんまり物がないイメージがあったから」

「文句あるわけ?」

「いやそうじゃなくて。でも、この部屋も確かにルックっぽいよね」

 本が沢山なところとか。そう笑って、僕を見る。開かれたその瞳は、灰色だった。

「…ルック?」

「えっ」

 思わず直立不動になって、驚きの声を上げてしまった。

「どうしかした?」

「いや、別に…」

 書類を受け取りながらそんな会話をする。
 何でもないと僕は言うけれど、ラーグは繰り返し聞く。

「本当に、何でもないから」

「じゃあ、僕の目を見て言って」

「っ!」

 僕は少し俯いて、いつもは赤い、だけれど今は黒い服を見ていた。
 そんな目は見たくない。あの鮮やかな、でも少し暗い色をした、あか。

 でも、今は。

 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ!

 空の青が見たい。草の緑が見たい。人間の肌の色が見たい。土の茶色が見たい。夕日の橙が見たい。

 あの、“あか”が見たい…。

 ラーグの服にしがみついて、頭を胸に押しつけた。
 訳も分からず涙が溢れて、それを見られたくなくて深く俯く。

 涙が零れた。

「ルック…?」

「…あ、れ…?」

 頭の上に置かれたラーグの手を払いのけて、顔を上げた。
 零れた涙は垂直に落ち、僕の頬を濡らすことはなかったから、気付かれないと高をくくってラーグの目を見た。

「…あかい」

「うん?」

「いや…何でもない」

 自分でも、頬が緩むのがわかった。

 あかい瞳。赤い服。若草のバンダナ。艶のある黒い髪。少し赤い顔。

 …………………ん?

 赤い顔?僕が怪訝な表情をすると、ラーグは口を押さえて明後日を向いた。

「?」

 まったく。訳が分からない。




 夢はやっぱり見るけれど、それでも元のようには戻ったみたいで。

 色を知ってしまった今だから、もう灰色でもかまわないなんて言えなくなった。

 僕は自分で思っていたよりもあのあかが。

 好きだったみたいだ。















ルックの「好きだったみたいだ」は恋愛感情じゃないです。
ラーグはまだまだ報われない。

今回はへび的幻水設定が少し。
その設定すら書きながら増えるのですが、
他の百万世界で、混沌か秩序かになるのに人為的な力は働きません。
誰もしなかったのか、その力が無かったのかは未定。(でもどうでもいい)
紋章が人に宿るという点では人の力を必要としますが、
それで混沌か秩序かと決まるわけではないと。
ちなみに坊ごとに上記のような設定は違います。
だって設定考えると色々出てくるんですもの。

ルックの部屋が汚いのは前から考えてました。
思いついたのは、ルックがラーグにピアスをあげた時。
なかなか戻ってこなかったのは、部屋中を探してたからです。
「あれどこだったかなぁ。確かここに入れたと思ったんだけど」
見つからなくて、ここではないよなぁと探したところにあったとか。