そんなに押しつけないで。
そんな上面に騙されないで。
ちゃんと見てやりなよ。
あんなに無理してるじゃないか。
気付いてやりなよ。
あーあ、ほら。
壊れちゃった。
壊れた歯車
月下草を手に入れた僕等は、竜騎士の砦へと戻った。そこにフッチの姿はなかった。どうやら帝国の空中庭園しかない黒竜蘭を取りに行ったらしい。
帰ってきたフッチは黒竜蘭を持っていたけれど、そのフッチを庇ったブラックは生きていなかった。もうただの無機物。
3つの材料がそろって、竜達は目覚めた。
もう、竜騎士ではなかった。そのフッチを連れ、僕等は本拠地へと戻った。
ラーグはずっと、笑っていた。
ふと、空が目に入った。晴れてはいたけれど、雨雲も見て取れて清々しい青空とはとても言えなかった。
―――曖昧。
晴れる空が孕む雲は灰色で、雨を降らせることもできる。
ラーグのようにも見える。
それは絶妙なバランスを保っていた。今のラーグは、雨雲が増えて増えて、一面を覆い尽くしていた。雲の厚さも高くなって、もう無理だって言ってるのに、最後に特大の雲の乗っかった。
たまりにたまった雨雲はついに降りだして、激しい雷雨となった。無風のそこは、ただ真っ直ぐに、真っ直ぐに。雨は降り注いだ。止むことを忘れてしまったかのようだった。
止めていた歩みを再会して、窓から視線を話す。
ラーグの部屋に行く途中だったのだ。
ノックをして、返事のないまま戸を押し開く。
「やぁ、ルック。どうしたの?」
「…っそれは、こっちの科白だよ!」
ボタボタ。ボタボタ。
左手に持たれたナイフは血塗れていて、右手の甲からは血が滴っている。
傍らには本来そこにあるはずの甲の皮が、数ミリの肉が付いたままあった。
紋章は剥ぎ取られていた。
「うん…駄目だね。印だけ取っても、ちゃんとあるんだから」
そういって、部屋の隅にあった花を枯らせてみせる。
「そんなに、真の紋章は簡単じゃないよ…」
僕は歩み寄って、その皮を元のように押しつけた。
ラーグは始終笑っていて、その様子を眺めている。紋章の上に重ねた僕の右手から風が漏れる。癒しの風だ。
死にかけの細胞は活性化され、右手は無傷になった。そこに傷があったと思わせるのは、傷口のわからない血だけ。
笑みを深くしたラーグは、左手を振りかぶった。
「うぁっ…!」
ナイフは、ラーグと僕の右手を机上に縫い止めていた。
「あははっ真の紋章が2つもある。神なんて言うのに、どうして人になど宿るんだろうね?」
「あぁ…っ」
握ったナイフの柄をラーグは回す。今真なる風は封印されていて、甲には印がなかった。本来それがある場所には風穴が空いた。
「はぁ…はぁ、は…」
「どうしたの。痛い?」
僕はナイフもそのままにラーグから手を離した。刺さったそれを引き抜こうとしたら、手を取られて止められた。
「え…」
「どうしてテッドは死んだの?」
「っ!!」
「グレミオや父上はどうして死んだの?」
「離し…て…!」
早くナイフを抜かないといけない。でも左手はギリギリと強く握られていて振りほどけない。
「どうして?」
笑ったままのラーグがじっと僕を見ている。
「…あっ」
右手が騒ぎ出す。ナイフを巻き込んで、右手が再生を始めた。
「…何だかんだ言っておいて、ルックも囚われたままなんだ?ルック自身が望まないまま再生を始めた手。それは、真なる風の仕業だろう?」
「………」
「死ねないんだね、ルック」
ずっと笑い続けているラーグ。
解かれた左腕で、僕はナイフを抜いた。刃には肉が付いていて、右手はまた再生をするだろう。
「死にたいと思う程愛されているのに、それに死なせてはもらえないんだ!!」
ラーグの部屋を出る瞬間、彼は言って、声を上げて笑った。
歩いていたはずの僕はいつの間にか走っていて、何処に行きたいのかもわからなかった。
走っている内にやっぱり右手は再生を始めていて、もう傷の存在は伺えない。その右手を抱き込んで、僕は屋上に転移した。
不安定だった空はいつの間にか降り出していたようだった。
空は責めるように全身を叩いた。
ラーグは壊れた。もう堪えうる許容範囲は超えていたのに。
………………テッドが死んだんだ。
たった一度あったことがあるだけだった。解放軍で、ラーグが魂喰らいを持っていたから、死んだと思った。
でも生きていて、僕の目の前で死んだ。誰も気付かなかったけれど、あの時少しだけテッドと話した。
魔術師の島で、彼と話したあの空間。あそこは時間の進み方が遅い。誰も気付かなかった理由の大きな要因だろう。
『あいつを…助けてやってくれ』
『あー泣くなって!もーオレってばモテモテじゃん』
『ばっか、泣いてんじゃん。強く生きろよ。でも無理はするな』
『無茶じゃねぇよ!だぁーいじょうぶ』
『お前は強いよ』
最後、頭に乗せられた手の感触が、今でも残っている。
「僕は、強くなんてない……強くなんてないよ…!」
痛いくらいに降り注ぐ雨。
「テッド…っ!!」
僕の頬を伝ったのは、きっと、雨だけだ。
自室に戻って、僕はとりあえず着替えた。濡れて張り付く服が鬱陶しくてしょうがなかったし、濡れ鼠でうろついていたら目立つ。
とにかく、マッシュの所へ行かないと。
部屋を出て、一瞬立ち止まる。
大丈夫。灰色になったのはほんの僅かの間だ。それに、今はそんなこと気にしてはいられない。ほら。なんでもない。僕の手は、人間のそれと同じ色をしているじゃないか。
「ルック?」
「…シーナ」
呼ばれて振り向けば、見知った顔。でもいつものように笑みはたたえられておらず、厳しい表情だ。
「お前、大丈夫か?」
「え?」
「真っ青だぞ」
「………大丈夫だよ」
生憎と鏡なんて見ないから、顔色なんて気にしてなかった。
「僕のことよりラーグだよ。今のままじゃ軍主を務めるどころか死にかねない」
「あいつ、そんなに悪いのか?帰ってきてから見てねぇんだよ」
「……壊れちゃった」
「え」
「知ってしまったんだ。魂喰らいの事。宿主の近しい者の魂を好むって」
「じゃあ、グレミオさんも親父さんも…?」
「紋章が彼等の魂を喰らったのだから、そう考えるのが妥当だろうね」
シーナにもう行くからと告げて、その場を立ち去った。
「ルック…!お前」
僕は聞こえないフリをした。
「クソッ」
シーナの悪態は、彼自身に向けられている気がした。
「…来ましたか」
「わかっているみたいだけど、休みをもらうよ」
「構いません。今そのように進めています。暫く貴方の副官に苦労してもらいましょう」
マッシュは判を押して、一枚の書類を渡した。
「あなたを『体調のすぐれない』軍主殿が回復するまで、彼の付き人に任じます」
詳細は空欄になっていて、きっと僕に書けということだろう。
「…あなたにしか、ラーグ殿を救うことはできないでしょう。貴方の方の体調を、私はあえて無視をして、この件を頼みます」
「わかってる。真の紋章の苦しみは、持つ者にしかわからない」
「………………………そうですね」
「…?」
間の長さが微妙で、マッシュを見る。マッシュはなんとも言えない顔をしていた。
「なに?」
「いえ…ラーグ殿も報われない、と思いまして」
「はぁ?」
「お気になさらず。では、お願いしますよ」
「どうぞ?」
僕は今日2度目となるラーグの部屋に訪れていた。
「あれ、ルック?どうしたの」
シークの谷から変わらないあの笑みを浮かべたまま。
「…今日から、僕あんたの付き人になったの。ずっとじゃないけどね」
「どうして?」
「あんたに死んで欲しくないからかな」
「あはは!そうなんだ?」
つかつかと僕に寄って、ラーグは僕の右手を取った。
「やっぱり塞がってる」
ラーグは嬉しそうに穴のあった所を撫でた。
とたん、飽きたように僕の右手を放り出す。
「改めてよろくね、ルック?」
ぎゃーーーーーー。
どうするのどうするの私!
こんなに坊ちゃん荒れさせて、あげくルックにあの仕打ち!
そしてあのナイフ多様するシーン、いやに筆が早かったです(汗)
というか続いちゃいましたよ。
書いてて終る兆しが無かったので一旦ここで切ることにしました。
前回書きたいとこ次の次っていいましたが、今回出ました。
テッドが死んで辛いのは坊ちゃんだけじゃなくてルックもなんだ!
と何気に主張。
うん。私思ってたよりずっとテッドが好きだったみたい。
無理やりシーナを出しましたが、あのシーンぶっちゃけいらないですよね。
出さなきゃ!という感がありまして。
でもシーナもちゃんとラーグのこと気にしてるのよ!っていいたかったのでいいや。