闇が、晴れた。









 人間を初めて殺したのは、ハルモニアにいた時だった。

 あの人工羊水から出たとき、僕が出来てから一年ほど経っていた。人間とは違い、既に5歳くらいの大きさだった。
 成長はゆっくりとしたもので、5歳の時レックナート様に連れ出してもらった頃もほとんど変化はなかった。

 分厚いガラスを壊して羊水から出たとき、僕は殺意で満たされていた。


 なぜ造った!


 そんなのわかってる。ただの利便と、好奇心だ。

 上手く声が出せなくて、言うことはなかった。

 振り返ればササライがいた。あいつは僕と違って成功したから、年相応に幼児だった。

 殺してあげようと思った。
 それは悪意なんかじゃなくて。

 ただ、哀れだった。

 きっとまだ、自分が「何か」なんて知らない。
 でも殺せなかった。僕がためらった訳じゃない。真なる土に阻まれたのだ。

 騒ぎが聞こえたのか、何人もの白衣を着た人間が集まってくる。

      成功したのか?そんなはずはない。いれは紋章と繋がりすぎている。そうだ。


      失敗作だ。


 僕はそこにいた人間全てを殺した。

 その時僕は思ったんだ。


 ああ、なんてあっけない。
 

 壊すのは簡単だと知った。でも、直そうとしたことなんてない。まして、形のない、目に見えないものなんて。

 どうすればいいのかな。




 付き人になって、翌日。ラーグの部屋に僕はいた。
 ラーグはいつも通り書類仕事をこなしている。出来上がったものを僕が見て、不振なものがないか確かめてからマッシュの元へ運ぶ。

 一枚に目を留めた。それは戦争をいかに攻略するかという、軍主というより軍師の仕事ではないかと思うものだった。
 僕が見ても、これは一番確実で効率的だ。でも、人道的では、ない。囮はどう考えても助からない策。

「ラーグ、これは軍主がやらなきゃいけない仕事なの?」

「うん?そんなことないよ」

 それじゃあこれはやり直しではなく、このままマッシュに回してあちらで対処してもらおう。

「駄目だった?それ。効率良いと思ったんだけどな」

 笑顔のまま尋ねる。

「非人道的だ」

「別に困らないよ」

「困るよ。民のイメージは悪くなるし、これで終わりじゃない。犠牲が多いと兵が減って次に勝てなくなる」

「そう?勝てば敗軍の兵が入ってくるよ」

「兵は多い方がいいし、あからさまな囮なんてすれば士気が落ちる」

 へぇ、なんて納得する。でも、と続けてラーグは言った。

「ルックも、兵は駒として見ているよね」

「…………」

「ははは」

 だって、そう考えないと勝てないよ。




 昼過ぎにもなるとあらかた仕事が終わって昼食を取ることになった。

「別にお腹は減ってないんだけれどね」

「…きっと、何も言わなきゃいつまでも食べないから、今食べなよ」

「ルックにそんなこと言われる日がくるとはね」

 人のこと言えないのは重々承知している。僕だってお腹は空いていないし、ラーグがいなければ食べなかった。

 どうにかサラダを押し込むと、ラーグは食堂を後にして階段で屋上へと上っていく。

 はっきり言って、エレベーターを使って欲しかった。

 屋上に着くと端まで行って、突然魂喰らいを使う。

「ちょ…なにしてるの」

「えーと、食事?」

 遠方に見えていた森の一角が死んでいく。緑葉が茂っていたのに、葉が落ちるどころか根から止まることなく朽ちて行く。

「…どうして止めるの?」

「よく、ないよ」

「なにが?」

「無為に喰らう事」

 僕と目が合うとにっこり笑って、口を開いた。

「『戦争をしているんだ』」

「?」

「『死人が出るのは当然なのに、自分の身近な者だけは死なないなんて、まさか思っているわけではないだろう?』」

 それは、僕がいつか、フリックに言った科白。

 そうだ。親しい者だって、他人だって、自分だって、いつだって死ぬ可能性と共存してる。

 僕が彼を見ていると、突然ラーグは身を乗り出して、そのまま落ちた。

 躊躇いなんてなかった。

「っ!!」

 風、彼を死なせないで。お願いだから…どうか。

 彼を助けて。

 四方から風が集まって、ラーグを包む。真っ逆さまに屋上から落ちていたラーグは、静かに地に足をつけた。


 死なないで。


 これは、僕のエゴだ。




 風に願ったのは初めてだった。
 いつも風が僕の意をくんで勝手に叶えてくれるから。いつからか、それが常となっていた。

 そんなことを考えながら、ふらふらと屋上を後にした。

 ラーグは下りた場所に留まっているだろうか。風は「いるよ」と教えてくれる。転移して、彼の所へ飛んだ。

 行くと確かにラーグはいて。表情は笑みではなく無だった。

「どうして生かしたの?」

「…死んで、欲しくないからかな」

「誰も彼も傲慢だよね」

 言うと笑みは戻った。そのまま歩き出して、本拠地の中へと入ろうとする。それを、呼び止めた。

「死にたかったの?」

「どうかな。ただ空を飛んでみたかったのかも」

 答えると、今度こそ中へと入る。
 僕もそれに続いた。




「…おや」

 ぴたと歩みを止めて、また何事もなかったかのように歩き出す。

 嬉しそうに笑ったラーグ。

 僕は、悲しかった。

 ラーグの頭上から飛んでくる暗器を風で吹き飛ばす。すると黒装束の忍びの姿をした男が降りてきた。
 男は腰に差した短めの刀を抜き斬りかかってくる。それはラーグの前に立ちふさがる僕ではなく、抵抗する気配のない軍主へと向けられていた。

 今の彼の前で、殺しても大丈夫だろうか。

 そんな疑問に駆られる。

「ラーグ、先に部屋に行っていて」

 前置きして彼を転移させようとする。でも…

 パキン

 軽い調子の音が鳴る。

「え…」

 思わず振り返ると、真なる風で紡いだ魔力は闇に喰われていた。

 魂喰らいを、制御した…?

「!!」

 男は僕の背中から刀を突き刺していた。肩口に深々と刺さったそれは引き抜かれて血が噴き出す。

 舌打ちして風を出した瞬間、男は倒れた。

 魂を喰われて。

「駄目だよ。ルック」

 カツカツと僕に近付くと、抱きしめられた。

「うっ…!」

 既に再生が始まっていた肩に、それを拒むように手を入れられた。

 どくどくと血が流れ出る。切られた肉は再生をしており、それを邪魔された組織抉られたように見えるだろう。

「うぐっ」

「駄目だよ。僕以外に傷つけられないで」

 地と肉を混ぜ合わせる嫌な音がする。

 血が、足りない。

「いなくならないで。傍にいてね」

 笑顔のラーグを見てから、僕の意識は途絶えた。




「う…ん…」

 目が覚めると、もう夜も更けているようだ。

 僕はベッドから体を起こす。どうやらラーグの部屋らしい。肩は、もう塞がっている。

「………」

 一つため息をもらして、声を掛ける。

「どうして隠れるの」

「別に隠れてないよ」

 ベッドから降りて、部屋の隅へと向かう。そこは闇に満たされていた。この空間でもいっそう暗い。
 その闇に手を入れて、ラーグの顔を包む。

「闇がどんどん溢れてくるんだ」

「…止めたい?」

「心臓を止めたい」

 笑う。声を上げず、幸せそうに。

「でもね、そうするとソールイーターを手放すことになるだろう。それは嫌だから、生きるよ」

「…」

「ルックもいてね。ルックはいてね」

「…っ」

 生きることを諦めている。
 生きる理由。どうしたら人は生きる?

 僕は、それを一つしか知らない。

「それを奪うよ」

「ん?」

「ソールイーターを無理矢理にでも奪うよ。あんたの大切なものを奪って、壊すよ。僕を恨んで。僕を憎んで。いつか僕を殺しに来ればいい。それを、生きる理由に…」

「嫌だよ」

「どうして」

「ルックだから。それをするのがルックじゃなかったら、それもいいかも知れないね。でも、ルックでしょう」

 それなりに気に入られているのは気付いていたけれど…。大切な者を喪いすぎたラーグには、僕程度でもこうなのか。

「はは、やっぱりわからないか。でも、いてくれればいいや」

 なんだか、腹が立ってきた。

「なんなんだ…」

「なぁに?」

「あんたが従者や父親やテッドを亡くしたのは確かにそれのせいだよ。それは近しい者の魂が喰らいたくてしょうがないんだ。でもだから何?継いだばかりだからって、知らなかったって、それでいいと思ってたのはあんただろ。制御できなかったのもあんたの詰めが甘かっただけ。それで荒れられてもいい迷惑だよ。勝手にやさぐれてればいい。あーもうそうさ全部あんたが悪い。誰があんたの傍になんていてやるもんか。あぁいいさ。傍にいるどころか逃げてやる!!」

 驚いたのか目を見開いて僕を凝視している。とたん、悲しそうな、捨てられて犬みたいな顔をした。

「ルックは、いなくなるの?」

「ああそうだね。逃げてやる。それが嫌ならそこから立ち上がって、前を向いて進みなよ。僕は逃げるから、追いかければいい。捕まる気はないけどね」

「…」

 ぽかんと間抜け面をさらすラーグをほっぽって、僕はその場を立ち去った。




 僕はそのまま、軍師の部屋へと向かった。

 ノックをするとどうやらまだ起きているらしく、すぐに返事が返ってきた。どうぞ、というやや疲れた声だった。

「…どうしたのですか。顔色云々以前に、影背負ってますが」

「マッシュ、やっぱり僕には無理だよ。というか既に無理だったよ…」

「…ラーグ殿、ですか。何かあったのですか?」

 顔をしかめて俯く。

「簡潔に言うと」

「はい」

「何か腹が立って怒鳴り散らして置いてきた」

「……………」

 僕はその後散々愚痴って、マッシュと一緒に飲み明かした。




 翌日、魔法兵団長の任に戻った僕は、副団長のイーグルに泣きながら喜ばれた。イーグルがどうにか処理していたようだが、それでも魔法兵団長の印が必要なものや、そう簡単にできないものが多く残っていた。
 でもやってみると、以外と時間は掛からず昼には終わった。石版前に行くと、ラーグがいた。

「!」

「ルック!」

「…なに」

 警戒する僕をよそに、ラーグは笑った。でも、それは。

「追いかけるよ。自分の足で立って、前に進むよ」

「じゃあ」

「ごめんね。でも、ありがとう」




 闇が、晴れた。













終らない罠。書いても書いても終る気配がなくて本当に焦りました。
長いからと前回から分けたのにも拘らず、
もう一回くらい分けられる長さ。
今回は題前の詩は最後につけたのですが、本編長くて
これ以上長くする気力がありませんでした。
冒頭の昔話カットしようかとも考えてのですが、このままで。

それで、うん。
ラーグがルックの傷えぐるシーン、二つ目なのですが…
いやに筆が早い。
何々私。そんなにルックを虐めたいのか!?
何はともあれラーグ復活です。
よかった。ずっとこのままかと焦りました。