終わる命と始まる国と。

最後を決するのは、明日。

目まぐるしい人の中で、得たものと。

過ぎ去った時の果てに、失うものと。

思いを、想いを。

果たすために。



終わりを前に



「マッシュ…?」

 状況をよく理解していない、否、理解したくないルックはとぼとぼと近付いていった。

 ルックに気が付くと、ラーグは言った。

「ルック!!風で傷を…!」

「無駄です。毒が塗ってありますから」

 そこでルックはこの惨状を認めざるを得なくなって、マッシュの元へしゃがみ込んだ。

「ラーグ、マッシュを本拠地に転移させる。そしたらリュウカンを連れて行くから」

 だから、あんたはここにいろ。
 ルックの言いたいことを理解し、本人もわかっていたのだろう。歯を食いしばって立ち上がった。

「任せた」

 軍主の、顔だ。

 去っていく後ろ姿を捉えつつ、本拠地へと転移した。




「マッシュ!」

 陽も暮れ、兵達はシャサラザードから帰ってきた。軍主であるラーグもその行軍の中にあり、自由が利くようになって医務室へと訪れた。
 リュウカンは騒がしくすることを注意し、マッシュの容態を説明する。

「毒は傷の治りを妨げるもので、血が止まらん。絶対安静でなくば命を拾えはせんぞ」

「ラーグ殿」

 そのリュウカンの説明を咎めるようにうち消す声を発し、横たえていた上体をゆっくり起こす。

「起きてはならん!」

「我が軍は今勢いに乗っています。このまま一気に王都へ攻め入るべきです」

 ならばレオンに任せればいいと言うリュウカンの言葉を無視し、自らが赴く旨を伝える。

「この世には流れというものがあり、戦いには時期というものがあります。見誤ることは許されませんよ」

 ラーグの目には未だ迷いが見える。それを固めたのは、マッシュの一言だった。


「死に場所は自身で決めます」


「………………頼む」

 苦い顔をして絞り出した言葉は、是。それにマッシュは血の足りず青い顔で笑みを浮かべた。

「冥土の土産に、解放軍の勝利をいただきましょう」




 決定されたばかりのグレッグミンスター進軍の準備に、目まぐるしく人が行き交う。その通路をツカツカと足早に歩く影。大変に目立つはずのその人物に周りが気付かないのは、忙しいからだけではない。気配を殺しているのだ。
 これから訪れる部屋に、こっそりと入るために。

「!ラーグ殿…」

「サンチェス殿。あなたには通常通り過ごしていただきたい」

「何故です!私は間者でありマッシュ殿を刺したのですよ。自らの信念に迷いを抱き、それでも私は帝国を取った」

「お静かに。その方が都合のよいだけの話です。今ごたごたしていては支障をきたしますので」

 言うと、うなだれるサンチェス。

「私は帝国を裏切ることができませんでした。初めから、間者として…」

「理想が違えたのです。この国の、思い描く行く末が」

 沈黙が満ちる。話は終わったと戸へ向かったラーグを、静かに、おずおずと尋ねた。

「…ソニア様は、どうなさっておいでですか」

「地下牢に。自ら進んでお入りになり、食事も受け付けてはくれないそうです」

 そうですか…と、目をつむり手を堅く握る。それに声を掛けることもなく、ラーグは部屋を後にした。




「ソニア殿」

「…なんだ。軍主が虜囚の元へ赴くなど」

「お聞き、したいことがあります。父とは……」

「ああ…確かに、私はテオ様を愛していた。それに偽りはない」

「そうですか…」

「……………テオ様は、最後の時笑っていらっしゃったと、言ったな」

「ええ。それだけは、間違いなく」

「そうか…なら、いいんだ」

 愛する者の死を悲しむ気持ちは、ソニアの目尻に密やかに表れる。だがしかし、彼の人は幸せであったと、最後は笑って逝ったのだと知るとその顔には笑みが浮かぶ。

 それを見守るラーグはなんとも言えない心境であった。

 ラーグにはわかっていた。この女性が、自らの母にはなり得ないことを。父から再婚を告げられたら、祝福を送るだろう。だが母だと言われれば、それには頷けない。ラーグの母親は、ただ一人だけなのだから。

 それを告げず胸の内にしまい込み、ラーグはソニアに願う。

「解放軍に、入っては下さいませんか」

「私にか?それはまた、私を試すようなこと言うのだな」

 ふぅ、とため息をもらし、天井を見上げる。そして立ち上がると、ラーグの目を見つめて答えた。

「無理だな。私の心は今もまだ帝国にある。…だが、この国の行く末を、ここで見守ることはできる」

 ソニアの言葉に、ラーグは意志の強さを知る。帝国五将軍。彼女は母の死故にその位を継いだ。だが、国を思う気持ちも同じく受け継いでいたのであった。

「それでも、構いません。よろしくお願いします」




 ソニアを牢の外に出し、クレオに城内の案内を頼んだ。

 明日の決戦を前に、慌ただしく駆け回る人、人、人。自らもその一人になるべく、階段を上って行く。

 と、そこで怒声。見ると兵が2人、言い争っている。明日のグレッグミンスター進軍のことに関してのようだ。

「国のため家族のためと戦ってきたが、明日で俺の未来がなくなるかもしれないんだぞ!」

「そんなもの覚悟の上だったんだろ!?だからお前はここにいるんじゃないのか!」

やっと、と言う気持ちと、帝国の本陣と対戦するという恐怖。緊張状態にあったため、些細なことでいざこざになったのだろう。それはエスカレートし、止まらなくなってきている。
止めようと声を掛けようとする。だが、『軍主』であるラーグは迷う。

「煩いなぁ!余所でやってくれる」

 ラーグの一瞬の迷いのさなか、近くで高い声がした。少女と呼ぶには低く、男性と呼ぶには高すぎる。少年期特有のアルトの声がその場を満たす。

「ルック様…!!」

「お、お見苦しいところを…っ」

 魔法兵団長であるルックを前に取り繕う二人を一蹴し、ルックは言う。

「信念掲げて戦ってても、誰が死んで生き残るかなんてわかるわけがない。死ぬ覚悟で戦うも良し。生きる覚悟で城を出るも良し。好きにすればいい。こいつだけじゃない。この軍にいる兵の誰もが、この城に残る権利も出る権利も持っているんだ」

 静まり返るその一帯。離れたところから色々な音が届く。

「まぁ僕は、生き残る覚悟で戦うけどね」

 ぽつりと発したルックの言葉に、ハッと顔を上げる兵達。目を見開いて、その言葉を反芻しているように見える。

 初めから死ぬつもりで戦って、勝てるとでも言うのか。

ルックを前にした2人の兵は、涙を湛えて頭を下げた。

「俺…私は軍に残り、明日生き残る覚悟で全力で戦います!」

「私も同じ気持ちです。先程は弱音を吐きましたが、今ではもう決心を固めました!」

 ルック様のおかげです。そう言って、上げた頭をもう一度下げてその場を去っていった。周りの者達も、止まった時が動き出したようにぽつぽつと活動を再開する。

「ルック」

「…ん?ラーグ」

 立ち去ろうとしていたルックを、ラーグは引き留めた。

「すごいね。魔法みたいだった」

「はぁ?見てたんならあんたが止めてよね」

「いや、止めようとは思ったんだけどね。ルックは、僕がいることに気付いているのかと思った」

 この軍にいる兵の誰もが、この城に残る権利も出る権利も持っている。ルックはそう言った。だが、この軍にいる責任在る立場にいる者はそれを許されていない。最たる者が、軍主だった。

「別に気付かないよ」

 ルックは言って、ため息を一つ。

「………マッシュは?」

 ルックはマッシュを軍へ連れていき、リュウカンをその元へ転移させてからそのどちらとも会っておらず、容態を知らなかった。ルックもまた、魔法兵団を束ねる者としての仕事があった。

「…マッシュは、明日戦場に来て指示を出す」

「……そう」

 目を瞑り、短い沈黙の後にそれだけを言った。

「明日で、終わるんだね」

 そこで、ラーグは気が付いた。明日で、全てが終わる。ここに集う理由が、なくなってしまうということに。ルックは約束の石版の官吏と天魁星であるラーグの手助けをすることをレックナートに言われここにいる。それが、なくなるということは。

「…終わったら、ルックはどうするの?」

「どうって…僕がすることはなくなるんだ。だから…島へ、帰る、よ」

 言いながら、ルックは胸のあたりの服を掴んでいた。初めて言われたように、思い出したように、そうだったのだと気付かされたように。

 ラーグはルックが出した答えがわかっていた。それなのに、何を期待していたのだろうか。

 知らず顔は歪み、眼前の小さな身体を抱きしめて、消えないことを確かめたい衝動に駆られる。それを押さえ込む。ここは今だ、往来の激しい場所なのだから。
 ふと、ルックの方が揺れていることにラーグは気が付いた。

「ルック…?」

「な、んでもない。なんでもない…」

「ルック!」

 顔を上げたルックは、混乱しているようだった。

「どうしたの?」

「わかんない…なんなんだろう。なんか、胸のあたりがざわざわする。落ち着かなくて、よく判らないけど……痛い…」

 それは、普段のルックからは想像できないような言葉。知らない感情に戸惑い、それを表す言葉を知らないが故に稚拙な表現。不安に満ちるその顔は、感情は。一帯誰に向けられたもの?

 それを尋ねたくて、ラーグが聞こうとした、その時。

「ルッ…」

「ルック様!兵団員が紋章の練習中に…!」

「状況は?」

 瞬間、ルックの顔は束ねる者の顔つきになり、先程の片鱗すらまるで感じられなかった。ラーグののばしかけた行き場のない手はゆるゆると下がり足の横に落ち着いた。

「じゃあラーグ。明日ね」

「ああ…」

 兵に場所を聞いたルックはその兵共々転移して消えた。

 一人残されたラーグは、すっきりしない顔をして、その場を後にした。




「おや。入るときはノックくらいするものです」

「ふん。そんなもの必要あるまい」

 士気を下げるわけにはいかないと自室に戻ったマッシュの元を、レオンが訪れていた。

「お前が死ぬのは私より先だとは踏んでおったわ」

「そうですか?あなたも同じ様なものだと思いますよ」

「ほう?」

「戦場で死にます」

 これは予言ですよ。そう笑って、師であり叔父である人物を見やる。

「私は軍師であることに絶望したこともあります。人をより多く殺すための策が次から次へと尽きることなく浮かぶのですから」

「根っからの軍師であるが故だろう。だがお前は甘い。経過を見るのではなく結果のみに着眼すればよいのだ。どれだけ死んだかではない。勝ったか負けたかだ」

「それは重要ですが、命の重みに潰れてしまうこともあるのです。軍師は、私にとって天職ではありませんでした。しかし今、軍師でありよかったと思っています」

「この軍を勝たせることができるからか」

「この軍を率いる方に力を貸せるからです」

 マッシュは言い切って、続ける。

「ですが、それも終わります。レオン殿、あなたはこの後どうするのです」

「そうだな…カレッカに戻るだろうよ。その後は、流れを見てみぬとな」

 ふ…とレオンは笑って、マッシュを見る。

「お前は、明日死ぬ。だが心底幸せそうな顔をしておるぞ」

「当然です」

 その言葉を聞いて、レオンは部屋を後にする。
 その口元には、笑みがあった。



 解放軍の長きに渡る戦いが、結末を向かえる。













…あれ?行数で言えば一番ではないのですが、文字数で言えば一番です。
ワードの段階で、「接触不振」の3844字が最多だったのですが、
今回の3840字がそれを上回りました。ほんのちょっと増えましたけど。

ともあれここまでやってきました。ラスボス戦とかほんっと困るんですよね。
戦闘シーンは書けませんし、でもそんな事言ったら全カットになっちゃいますし…
迷います。