星は人間に宿り

世界はそれを見る

神は人間に宿り

世界はそれ故に存在する

星は世界の導であり

世界は始まりを築きし

27の真の紋章

世界が見る夢



心理はそれを“運命”と定める





  風と闇は始まるが故に出会う




ルック

 脳内に直接響くレックナート様の声。他愛ないことから大事なことまで、用事があるときはこのようにして呼び出される。

 僕はわずかに溜息を吐き、右手に宿る真なる風の紋章を呼び転移した。

「お呼びですか?レックナート様」

 盲目の魔女、トランの星見。一般にはあまり知られていない運命の管理者。

「もうすぐ、帝国の方が星見の結果を取りにいらっしゃいます。出迎えていらっしゃい」

「はぁ」

 僕はまたか、という意を込めて返事をする。毎年帝国の使者はくるが、そのたび僕は出迎えてきた。毎度面倒くさいとは思いつつもレックナート様の命令。断るにべもなく受け入れる。

 部屋を辞そうとする僕を引き留めて、レックナート様は見えないはずの目を向ける。

「ああ、ルック。今回は、面白いものが見られるかも知れませんよ?」

 そうにっこり笑ったレックナート様。

 …やっぱり、僕の師匠は得体が知れない。

 



 帝国の使者がくるまで読みかけの魔術書を読むことにする。しかし幾ばくもしない内に暖かい風が窓の隙間から滑り込む。

「…もう来たのか」

 僕はしおりを挟み本を閉じる。面倒くさいと思いつつも坐していた椅子から腰を上げた。

「まったく。初めてのお使いじゃないんだから、そんなに焦らなくてもいいだろうに」

 しかし、あながち間違っていなかったようだけれど。

 窓に近づき、風に急かされながらそれを開放する。一気に流れ込んでくる風は、しかし優しい。風に指を絡ませながら使者はどのような様か尋ねる。目を閉じれば彼等の出で立ちすら風が教えてくれる。魔術師の島は独壇場だ。

 どうやら訪れたのは5人。これといって何かあるようではない。ないけれど……。

 なんだ?なにか引っかかる感じがする。よくわからないけれど、レックナート様が言っていた面白いものはこれだろうか。

「とりあえず、行ってみるか」

 風が僕を取り巻く。僕もそれに任せる。

 さぁ、出迎えだ。

 



 転移の先には使者たちの驚いた間抜け面。でもそんなのはどうでもいい。一番小さいやつ。

 あれは、闇だ。

 10年や20年なんてものじゃない。もっと長い時をともにしてきたはずだ。今は封印されているようだけれど、紋章が飢えているのがわかる。

 普段は割とおとなしい好奇心が疼き出す。

 見たい。知らず僕の口角は上がった。

「いらっしゃい。帝国の皆様」

 僕が声をかけると、赤をまとった男が近づいてくる。こいつが責任者なのかな。

「かわいらしいお嬢さんだ。君はレックナート様のお弟子さんかい?」

「………」

 さわやかに笑うこの男は、今何といっただろうか。

 凍りついた思考回路が徐々に融解を始める。

「ぼ、坊ちゃんこの方は…」

「だははははははははははっ!!!」

「ちょっとテッド……そんなに笑うんじゃないよ」

「駄目だな、しばらくは腹抱えて笑い続けそうだ」

 上がった口角はそのままパチパチと瞬きを繰り返して、思考をまとめる。つまりあれか。このくそ野郎は、僕をあろうことか女と間違えたわけか。

 理解した瞬間一切の表情がはがれおちた。

「どうかしたのかい」

「ばっかお前、そいつ男だろ」

 闇の男が笑いすぎたのか、涙目で指摘する。すると「え!?」と心底驚いて僕を見やる。ふざけるな。

「我が真なる風の紋章よ…」

 僕は風に呼びかけ異界から魔物を引っ張り出す。

「クレイドール!」

 土塊の魔物が僕の使役下に置かれ彼等に襲いかかる。

「うわぁっ!?」

「なんだこいつ!」

「帝国の使者なら、これくらい倒せるだろう?証明してみせてよ」

 闇の男を見る。僕は彼に示した。彼は僕に示してくれるだろうか?

 驚きに開かれた目は、やがてそらされて矢を番えた。

 



 結局彼は紋章の匂いをかけらもさせずに、5人の力を合せ魔物を倒した。

「………」

 僕は彼を見つめるけれど、彼は気づかないふりをする。溜息をついて顔を背け、当初の目的通り星見を取りにきた帝国の使者として出迎える。

「改めてようこそ、ここは魔術師の島。レックナート様はあの塔の最上階にいらっしゃる。勝手に登ってよ」

「ちょ、ちょっと待ってください!突然魔物をけしかけたことに対して一言あってもいいんじゃないですか!?今回はご無事でしたが、もし坊ちゃんに何かあったら…」

「そもそも、その坊ちゃんが僕を女と間違えたことに対しての謝罪こそあるべきじゃないの?」

「そん…」

「いや、グレミオ。全くその通りだ。本当にすまなかった。君があんまり綺麗だったからつい勘違いをしてしまって……許してくれると嬉しい」

「ふん、その嘘くさい笑いを引っ込めろ」

 ずっと気に入らなかった偽物感たっぷりの笑顔に文句をつける。頬に傷のある男が「坊ちゃんのこの素敵な笑顔のどこに文句があるってんですか!」などと憤慨している。

「ま、どうでもいいよ」

「どうでもいいですって!?」

「魔物と戦わせるのなんて毎年のことだし」

「なっ!?」

「ところで、あの塔の最上階ってこたぁ……」

 そう言って格闘家の風体をした男が塔を見上げる。それにつられて、他の4人も見上げる。

「うへぇ…」

「た、高いですね」

「おいそこのこまっしゃくれ。どうにかなんないのかよー」

 闇の男にそんな風に言われて、少々むっとなる。

「ルックだよ。階段を昇るのが嫌なら壁でもよじ登れば?それに、あんたには別の方法があるんじゃないの」

 示してくれなかった彼を放って、僕は自室へと転移した。

 



 考えてみれば、彼は追われる身なのかもしれない。

 真なる紋章だ。ハルモニアだって、あれだけの闇の紋章、喉から手が出るほど欲しいに決まってる。その大国が紋章集めを大っぴらにしているもんだから、取り入ろうと献上するために欲する奴らもいるだろう。使い道はいくらでもある。

 それ故の苦痛も知らずに。いや、たとえ知っていたとしても変わらないか。痛みなど、引き換えてみなければ解りえない。

レックナート様以外の人間と会うのはこの星見を渡す年に一度だけ。そんな限りなく低い確率で訪れた機会。真なる紋章を宿す人間と、彼と話してみたい。

 持たない者には分かりえないこの思いを、葛藤を、疑問を。未来を。

 ああ。彼も見えるのだろうか。見えて、いるのだろうか。


 


「ルック、彼等をお送りして差し上げなさい」

「…はい」

 レックナート様に呼ばれ、彼女の部屋まで訪れていた。星見の結果を渡し終えたのだろう。案の定その通りで、僕は島の入り口まで送るように仰せつかる。

 彼等に向きなおると、嘲るように笑ってみせる。

「階段オツカレサマ?」

「おまえ…」

「まぁ、帰りは送ってやるからさ。心配しなくてもいいよ」

 ロッドを構え、魔力を込める。その瞬間小さく責任者の男に囁く。

「ちょっと借りるよ」

「え?」

 足もとから闇と金の混じる影が広がり、彼等を呑みこんだ。


 


「あれ、どこだ」

「ここはレックナート様が持つ空間のひとつ。時間の進み方が他より遅いから、ねぇ。ちょっとでいい、話がしてみたい」

 僕を視界に捉えると、ふと苦笑して了承してくれた。

「紋章はなに?どれくらい?あ、ついでに名前は?」

「ついでっておい。オレはテッド。こいつとは300年ばかりのお付き合いで、ハニーの名前はソウルイーター。ルックは……風だよな。すごい好かれてる」

「まぁね、ちょっと。テッドは何で隠してるの。ハルモニアにでも追われてる?」

「お前、国のお偉いさんでもなきゃそれこそ狩られるぜ?普通隠すだろ。まぁ、ウィンディがこれ欲しがっててな。追われてるっちゃ追われてる。ま、何十年会ってないけどな」

 会いたくもないけど、と吐き捨てて右手をさする。でもウィンディって、赤月の皇帝の妾じゃなかっただろうか。

「追われてるなら、なんで同じ街に住んでるの。気づかれてないなら早く別の場所に行った方がいい」

「いいんだ。オレはラーグに助けられて今まで生きてきた。あいつを見守るのも、託すのもオレの望みだ」

 優しく笑うテッド。僕はその名前に聞き覚えがなくて怪訝な顔をする。

「ああ、ラーグってのはお前を女と間違えたやつだよ。はは、ホント笑える」

「何言ってんのさ。だいたい、あんな失礼なやつのために……そんな」

 死ぬ、だなんて。

「いーんだよ。オレはもう十分長生きしたし、これが目的で生きてきた。運命とやらがくるまで、あいつを見守って余生を過ごすさ」

 それがテッドが決めた道。思い。未来は、見ていない?

「ソウルイーターは、テッドに何か、見せるだろうか」

「………何か?」

「闇か秩序の世界」

 沈黙が下りる。テッドは見たことないのだろうか。あの痛いほどの静寂。完結した停滞。ああ、でもテッドが宿すのは闇の紋章だから、もし見るのなら混沌の世界なのかな。

 テッドが口を開く。

「…お前幾つだ?」

「13かな」

「宿してどれだけになる」

「13」

「……早すぎる。もう見えるのか」

 テッドは難しい顔をして僕に言った。

「紋章が未来を見せ始めたのは、宿してから100年経ったころだった。それもかなり曖昧で、それでも気がおかしくなりそうだった。暗い闇に渦巻くあらゆる感情がひしめき合って、それらが戦って。どんどん淘汰されていく。オレはそれに耐えられなくて逃げちまった」

「逃げても、逃げても、紋章からは逃れられないの?」

「オレにはわからない。オレは、また自分の意志で紋章を手にしたから」

「自分、から」

「逃げ込んだ場所で何をするでもなく、紋章におびえることもなく無意味に過ごした。だが、何十年かしたころ魁主がやってきた。どうやら星の巡りとやらに選ばれたらしい」

「宿星だね。150年前の南東諸国、かな…」

 レックナート様に教えてもらった宿星の記憶。幾度となく繰り返されてきた星を背負う者たちの戦争。それに必ず絡む真なる紋章。

「あたり。オレは天間星だった。その時の天魁星やそいつに集う人たちを見てて、オレはどこか救われた。誰も諦めちゃいなかった。ま、あんな映像知らないってのが大前提だけどな」

 思い出すように目を細め、微笑みながら言う。

「天魁星は光だった。闇の中に逃げ込んでいたオレには眩しすぎるくらいのな」

 それで闇に打ち勝ったとテッドは言う。でもどうやって?あの絶望を。無力感を。それだけで、どうして立っていられたというのだろう。

「…ルクの言いたいことはわかる。オレには約束があったから、生きてこられた。あまりにも不確かであやふやで、天魁星に会うまで疑っちまうようなか細い約束だったけどな」

 テッドは僕に向きなおる。目には強い意志をたたえていた。

「オレはお前とは生きられない。……ごめん」

 僕は目を見開いた。そんなこと僕は望んでいない。

 本当に?嘘だ。思い返してみろ。初めて会ったばかりの他人に、紋章を持っているからというそれだけで寄りかかってしまった。意識しない深層で、知らず望んでいたのだ。

 紋章の見せる未来を知る不老の誰かを。この苦しみを共有できる何かを。

 ああ、何と愚かなこと。

 ああ、何て浅ましいこと。

「だけどさ」

「そんなこと、僕は望んじゃいないよ。そろそろ終わりにしようか」

「ルック」

「ラーグだっけ。あいつらも待たせてるし。ありがとうね」

「待っ…」

 何か言う前に、僕は彼を転移させた。彼の優しさに付け込もうとする自分に気づいたとき、その不相応な考えに死にたいくらいに恥ずかしかった。


 


「うわっ!?どこから出てくんだよ!」

 突然現れた僕らに、竜のブラックと待っていたフッチが驚いた。

「おお……ちゃんと着いたな」

「ええ、転移なんて初めてでちょっとドキドキしましたね」

 周りを見渡すと、一人足りない。ルックが言っていた「借りる」とはテッドのことだろうか。しかし、以前からの知り合いという風でもなかった。接点もない。

 そのはずだが、彼は初めからテッドを意識していたように思えた。

「のわっ!?」

 短い悲鳴をあげてテッドが降ってきた。地面にのめりこむように地面にダイブしたかと思えば勢いよくガバリと起き上がる。

「あのくそガキ……話は最後まで聞きやがれってんだ…っ」

「テッド?」

「ちょっと行ってくる」

「どこにだい」

「塔だ!」

 僕らのやり取りを見ていたグレミオ達はあわててテッドを引き留めた。

「何言ってるんですか!そんな時間はありませんっ」

「そうだよ。それに、何の用があるってんだい」

「用って、あのくそガキに……」

 だんだんと勢いをなくすテッドを怪訝に思い声をかける。それに、テッドはルックのことを言っているのだろうか。

「テッド?」

「あ、いや。なんでもない。やっぱりいいや」

「本当に、いいの」

「…ああ。返してやれないのに、都合いいこと言うなんて自分勝手できないよな……」

 何かを呑みこんだテッドは、切り替えたようにフッチの方へ「さぁ帰ろうぜ」と歩いてく。

「そうですね。フッチ君、グレッグミンスターまでお願いします」

 みながそれに相槌を打ち、ブラックの背に取り付けられた籠へと乗り込む。

 テッドが塔を向き、それから最後に籠へと足をかけた。

 テッドの呟きは、誰にも届かなかった。


「だけどさ。トモダチにはなれるじゃん?」


 


 黒い竜が飛び立った。

 茶色の頭が振り返った。

 気が、した。

「テッド……」

 高い高い塔の上。彼が帰るのを、僕は窓から見送った。





 その僕を、風だけが知っている。

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