師が僕を呼ぶ声がする。ああ、礎が築かれたのか。

 約束の石版を従えて、師の紋章を頼りに転移した。

 僕は嗤う。「約束の石版」と名を冠するこれが滑稽に思えたから。

 いったい何を約束するというのか。

 目的の達成?魁主への忠誠?神の意に、背かない?

 そんなこと、僕は知らない。

 


約束の石版

 


 転移の先は石壁の城塞。数人ばかりが集まっており、突然現れたレックナート様と僕に戸惑っているようだ。見渡せば、見た顔がいくつかある。

「僕はルック。レックナート様のご命令だから、面倒だけど君らを手伝うことになった。まぁ……よろしく?」

 嘲笑するかのような挨拶に何人かが不快そうに顔をゆがめる。

 そんな集団の中に彼を探す。しかし、見渡せどその姿をとらえることはできない。

 おかしい。ソウルイーターの気配は隠されもせず強烈なものだというのに。

 彼に会って、いったいどうしようというのか。合わせる顔こそないではないか。けれどこの紋章の気配はどうにもおかしい。元をたどれば天魁星。確か名を何と言ったか。思考をめぐらせれば、彼の声とともに思い出される。

「ラーグ?」

「え」

 門を開いて消えたばかりのレックナート様を見ていた天魁星は驚いた様子で振り返る。

 まさか僕に声をかけられるとは思ってなかったようだ。

 こちらを向いたラーグの右手にはきつく包帯が巻かれていた。視線を上にあげ目を合わせる。

「……ああ、そうなんだ…」

「なっ、何がです!?」

 いきなり現れた、しかも以前魔物をけしかけた僕と話しているのが気にかかったようで金髪の従者が割って入る。僕は僕で、もう話すことも話す気もなかったので別にかまわない。

「なんでもないよ。ああ、これは約束の石版。108の星に名を連ねる者を刻む。レックナート様からの大事な預かりものだ。どこか置く場所を頂戴」

 先ほど奇怪な登場の仕方をしたトランの星見。その人物からの預かりものを蔑ろにできないようで、一瞬逡巡したあと軍師だという細目の男、マッシュが石板を置く場所を案内してくれた。

 石板を置き去りにしたまま部屋の位置だけ確認すると僕はそのまま出て行こうとする。

「どうかしましたか」

「石板を運ぶの」

「あなたがですか?」

 無理だろう、という意を含んだその問いかけにカチンときて鼻を鳴らす。

「お生憎様。転移で運ぶから労働力は必要ない」

「転移、ですか」

 呟くと、マッシュは人の良さそうな笑みを浮かべた。




 

 ラーグの手にあったのは、紛れもなくテッドの所有していたソウルイーターだ。そして、この場に彼はいない。死んだのだろうか。紋章を天魁星へと託して。

 300の時を生きたと言った。かの宮廷魔術師に追われていると。

「ウィンディ……」

 昔、ウィンディに会ったことが一度だけある。レックナート様を訪ねてきたのだ。

 僕を連れてきたから。

 ウィンディはレックナート様を罵っていた。




『お前はもう、忘れたのか!』

『ヒクサクの複製なんぞ連れてきて……あの忌々しいヒクサクの!』

『私は決して忘れはしない。この憎しみは、忘れられるものじゃない』


 僕のことを言っているんだなと、レックナート様の後ろで悲鳴のような怨嗟を眺めていた。

 ウィンディは最後にこう言い残して去って行った。


『お前は、私を裏切るのか。あの日交わした誓いを違えると言うのだな』


 レックナート様は、笑っただけだった。


「復讐……」

 ウィンディが力を欲する理由ならそれしかない。そのために、テッドは死んだというのか。ウィンディの恨みのどこに、テッドが関係するというのだろう。復讐など、復讐なんて、どれほど愚かなことだろう。


 でもだけど、ウィンディの思いを否定することができないでいた。





 石板の間に椅子と数冊の本を持ち込んで読書にふける。レックナート様は天魁星を補佐しろと仰ったが、僕は自分から何かするつもりはまるでない。天魁星が頼ってきた時だけ力を貸してやればいいと思っている。慌ただしい解放軍の中でも、そんな僕がいる石板の間はいつも静かだった。

 コツ、と部屋の前で足音がとまる音がした。僕がここに来てから一週間ほどになるが、幾人かが遠目にこちらを窺うように見ているのを知っている。その足音も同じだろうと紙面から顔をあげると、そこには予想とは違う人物が立っていた。

「ラーグ」

「やぁ」

 僕が彼の名を呼んだことで入室の許可を得たとばかりに歩を進める。石板の前に立ちそれを見上げながら名の少なさに苦笑する。

「約束の石版か……やっぱり、まだ空欄が多いな」

「当り前だろう。108しか星には選ばれないんだ。そうそう集まるものじゃない」

 納得の相槌を打ちながら石板を上から順に辿る。それが中ごろまでいく頃、軍主は言った。



「この石板は、いったい何を約束するんだい」



 心臓がざわりと総毛立つ。首筋から鳥肌が立つような感覚を無理やり無視して「知らない」とだけそっけなく返した。

「別に意味なんてないんじゃない?」

「そうかな……ああ、もうひとつ目的があったんだ。むしろこちらが本題」

 人の良さそうな笑みを浮かべて言うけれど、僕はなんだかよくない予感がした。

「魔法部隊設置に伴い、君を部隊長に任じる」

「……何で僕?子供にやらせても望んだ成果はついてこないよ」

「ルックは魔力も高いし頭も回る。適切な判断をしてくれると確信している。マッシュも推しててね。転移できるほどの魔力や知識は貴重だとね」

 はっきりいって面倒くさい。かなりやりたくない。しかし、天魁星からの指示は従うべきで。

 ため息をついて、僕は不本意ながらその役を引き受けた。

「あんたの言うことだ。僕の仕事は天魁星のサポートだからね」

「ありがとう。正式な通達は明日届けるよ」

 それにしても、とラーグは続ける。

「よかった。実のところ人員が全然得たりてなくてね。ルックに断れれたらどうしようかと」

「……は?」

「年が足りないのは仕方ない。実力優先で行かないと負けてしまうからね。ルックなら大丈夫さ。言動に実力が伴えば誰も文句は言えないさ」

「…………」

「がんばってね」

 にこやかに笑って言い残すと、別れの挨拶を済ませて石板の間を後にした。

「…訳がわからない」

 ラーグが出て行った出入り口を見つめる。



『この石板は、いったい何を約束するんだい』





「……そんなこと、僕が知りたい」



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