いつもより静かな本拠地。
話し声はひそひそと。
噂の種は軍主さま。
”おかわいそうに、おかわいそうに”
父親殺しの軍主さま。
笑顔をなくした軍主さま。
ああ、煩わしい。
父親殺し
テオ・マクドールは部下に遺言を残した。息子の力になってやって欲しいと。それは強要ではなく、子を思う父の願い。テオを敬い、慕った彼の部下は、アレン、グレンシールを初めとした多くの者が解放軍へと下った。
そのテオを、父を殺したラーグは表情を消した。
こなす仕事は結果を見れば今までと代わりの無い完璧さである。しかし、兵の前では必ずといっていいほど貼り付けていた笑顔はない。時に大らかに、時に不敵に、時に歳相応の笑顔を見せていたそこには、表情の読み取れない冷たい目。それが精一杯。取り繕う余裕などありはしない。
マッシュに書類を届けようとした道すがら、そんな噂どおりの軍主を見かけた。ため息を一つ残し、僕はそのまま立ち去った。
目的の部屋までたどり着くと適当に声を掛け戸をくぐる。腕に抱えていた重たい書類を机の上にどさりと乗せ、軍師へ提出を果たす。
「はい。魔法兵団の経費内訳と、訓練経過報告書と、部隊の人員配置」
「確かに。では、本日はこれで結構です」
「え?」
思わず疑問の声が口を突いて出た。いつもならこの後どっさりと追加の仕事を渡されるのだ。それがどうだ。「これで結構です」?素直に喜べるほどおめでたい頭はしていないぞ、僕は。
嫌な予感をひしひしと感じて、じりりと一歩後じさる。
「それじゃ僕、この辺で」
「まぁ、そう急ぐこともないでしょう」
そう簡単に軍師が逃してくれるはずもなく引き止められる。細い目はそのままに、口元の笑みだけが深くなる。
「貴方には別件を頼みます」
「……別件?」
ええ、と軍師は大きく、それこそわざとらしすぎるほど大きく頷いて、言った。
「貴方にしかできないのです」
僕はこう呟くことしかできなかった。
「なんなのさ……」
パタン
マッシュからの指示を受け部屋を後にする。戸を閉めた瞬間に飛び出したいささか盛大であった。口の中に広がる文句を飲み込みきれず文句が言葉が零れる。それでもあの軍師には逆らえそうにないのだけれど。
不機嫌を露に歩いていると、軽い調子の声がこちらに向かって呼びかけている。視線だけやった先に淡いブロンドの髪が見えて、僕は聞こえないフリをして歩みを速める。無視をしたシーナは慌てて駆け寄ってくる。立ち去ろうとしても結局呼び止められるのだ。
「おいルック!待てって」
「……なに」
「ラーグのことだけど」
その名前が出て、下層をさまよっていた僕の機嫌は底辺にまで落ちた。
「あんたまでなに。いったい何なの」
「なにって、ラーグの様子が」
「さっき嫌というほど聞かされたし、見てればわかる。あんなに分りやすいのに」
「…誰かに言われたのか?」
眉を寄せてあの軍師に言われたのだと返してやれば、不自然な動作でシーナは固まった。
「誰も彼も何なんだ。なんで僕がこんな面倒な仕事を押し付けられなきゃいけないわけ?別に僕じゃなくたっていいじゃないか。軍師もあんたもなに考えてるのさ」
「え、いや……なんか、うん。そこ否定したらラーグ可哀想過ぎるから肯定しとくわ」
「は?」
「気にするな、引き止めて悪かったな。ラーグこと頼むわ」
手を振ってきた道を戻るシーナの背を見送って、知らず首をかしげていた。
結局ラーグの元を尋ねるでもなく魔法兵団の訓練に出たり、石板の守をしたり、本を楽しんだりといつもよりのんびりとた午後を過ごした。真昼間から軍主の下を訪れたとして、兵達の手前ラーグが本音を出すとは思えなかった。だったらたまの休暇として半日貰うくらいしてもいいだろう。軍師の目を避けて過ごしたのに他意はない。ない。
徐々に日が暮れていくにつれて沈んでいくモチベーションにため息をついて、一冊本を読みきったところで諦めた。
そろそろ、行こうか。
(腑抜けた軍主を蹴っ飛ばしに)
皆が寝静まった静かな城内。石畳をカツカツと歩く音が響く。転移もせずにゆっくりとした歩みで軍主の部屋へと向かう。途中で見かける見張りの兵は僕の姿を確認するなり恭しく敬礼をした。行く先を察しているのか、誰も咎めることも、問いかけることすらしない。
全ての大人を騙しおおせているわけではないようだね、軍主さま?
というか、気付いているのなら自分達でどうにかして欲しい。どうして押し付ける。まったく。
その部屋にたどり着くと、ドアの隙間からからは寝台の横にでも灯しているのであろう明かりが小さく漏れている。まだ、寝ていない。寝れるような状態でもないのだろうけれど。
おざなりにしたノックの返事も待たずに扉を開ける。緩慢な動作でこちらを見上げる軍主は寝台の淵に腰を下ろしている。紋章でも眺めていたのだろう、いつもきつく巻かれている包帯は足元に落ちている。
「こんばんは。”笑顔をなくした軍主さま”?」
「…なんだそれ」
「知らない?あんた今そう呼ばれているんだ。おかわいそうに、おかわいそうにって同情されているの」
無表情のそれが変わることはなく、視線は紋章へ戻された。
開いたままだった戸を閉め、ラーグの前まで距離を詰める。ブーツの音だけが静寂の中で高く響いた。
「何をしに来た、とは聞かない」
「自分でもわかっているんじゃないか」
小さく音を立てて、止まる。真正面から見下ろせば俯いたままのラーグが口を開く。
「マッシュにでも言われたか」
「言われた」
「そうか」
「シーナも気にしてたよ」
「そうか」
「僕は、あんたが自分で立ち上がると思ってた」
「………そうか」
ふっと、ラーグが笑う。ほっとしたような自嘲交じりの笑顔。ああ、久しぶりに表情のあるところを見たな。でも、そんなことのためにきた訳ではない。
「あんたは父親を殺した」
「っ……ああ」
「最終的に止めを刺したのは魂喰らいだけど、宿した紋章は自身だ」
「わかってる…!」
「軍主になると決めたのはあんただ!」
「わかっている!!」
声を荒げて立ち上がったラーグは僕を苦々しげな顔で睨む。歪んだ顔で耐えるように拳を握り締めている。その震えるその右手をそっと取り、甲に刻まれた印を撫でるとラーグの体がびくりと跳ねた。視線を上げ、ラーグのそれと合わせる。
「それでも、テオ・マクドールにも解放軍にとっても必要なことだった」
「………」
「正しくないとわかりながら、バルバロッサを忠誠から裏切れなかった。その意志の強さは確固たる物で、本人でも覆せるものじゃなかった。言ってんだろう?自分を越える瞬間を見られて幸せだって。あんたに、殺してもらいたかったんだよ」
きつく閉じられた目からひとつ、ふたつと雫が零れる。堰を切ったそれは次から次からあふれてきた。
「誰よりも、尊敬してた。いつか父のようになるのだと」
「うん」
「家族のことを思い、民の苦しみを嘆き、皇帝とともに国を救うのだと、誓っていた」
「うん」
「もうそんなことはできない事を、父上は知っていたんだ…っ」
「…うん」
「帝国は、もう駄目だ。一度壊してしまわないと、民は枯れ果てる…」
「……」
「だから、止まれない」
「うん……」
その瞬間ラーグは僕を抱きしめて、肩に顔を埋めた。暖かい涙が肩をぬらすのを感じる。すぐ側にあるラーグの頭をそっと撫でて、それでも僕は、酷な事を言うのだ。
「…まだ、がんばってよ……」
ラーグはわかっていると答えた。抱きしめる腕の力が、強くなった。
痛いほどのきつい抱擁は、ラーグの心中を表しているようだった。
次の日からまたラーグは笑顔を貼り付けた。誰の前でも立派な軍主さまであろうとした。弱音を晒した僕では意味が無いのか、自然出るのであろう笑顔を向ける。それほどの信用を得るつもりなどなかったのに、屈託の無いそれを、嬉しいと思う自分がいる。アールスの地を解放するその時まで、ラーグは進み続けるのに。
全て終われば、星には縛られないのだ。自由になる。
そして、二度と会うこともなくなるのだ。