かつて疑うべくも無くそこにあった信頼は、しかし。

 腐敗した国を討つ誓いとともに消え去った。

 解放軍軍主、帝国五将軍。

 袂を分けた親子の戦いが始まる。

 同じ血を流す者たちが、今。


 自らの信念のために。




喰らうもの




 テオ・マクドールは強かった。百戦錬磨と謳われるその力量は語り聞く武勲と違わず、紋章を全面に押し出した弱点を突く戦略を跳ね除け解放軍を撤退へと追いやった。

 散り散りになりながらその場を引く解放軍。しかし、蹄の駆ける音が直ぐそばまで聞こえてくる。

 追いつかれれば命運は尽きる。彼ら個人のではない。解放軍という、大きな組織の柱が失われれば今まで築きあげたものはあっけなく瓦解するだろう。

 皆分っていたのだ。最初に声をあげたのが、パーンという男であったというだけの話だ。

「坊ちゃん、俺に殿を勤めさせてください」

「パーン、しかし」

「一度裏切った俺を、坊ちゃんは受け入れてくれた。償い、というわけではありませんが、坊ちゃんの役に立ちたい。俺の忠誠をここで示させてください」

 真摯なその目に、ラーグは一言残してそれを許した。



 帰ってこい。



 しかしどれほど待っても、パーンが帰ってくることはなかった。




 

「火炎槍だ」

 翌日の会議室だ。フリックが言うのは、かつてラーグがその設計図を届けた火炎槍。解放軍の切り札である。ドワーフの秘宝であるそれは矛先から強力な炎を吹き出す槍で、紋章を不得手とするテオ・マクドールの鉄甲騎馬兵にも有効なものだ。解放軍の摘発も厳しいものである。秘密工場が残っているかはわからないが、今はそれに賭けるしかなかった。

 秘密工場はカレッカの更に北だ。荒廃しきったその村を通ることになるだろう。

 カレッカの事件。あまりに悲しき出来事であったと人々の記憶に刻まれている。古くから続く赤月帝国とジョウストン都市同盟の国境争い。赤月の内乱に乗じて占領されたカレッカを帝国軍が奪還しに来た時には、焼き払われた家々と惨殺された村人達があるだけだった。惨たらしいその所業は帝国兵達に伝えられ、長い進軍での疲れを吹き飛ばす怒りを持ってして都市同盟を追い出した。

 その村が、ラーグの目の前に広がっている。

 荒れた町並み。壊れた外壁。跋扈する魔物。なんとも痛々しい、死んだ村。

 襲い掛かってくる魔物と戦いながら先へと進む。ふと、割れた窓ガラスの奥に動くもの。思わず振り向いた先には、理性の無い魔性とは違う影。

「人だ」

「なに?」

 同行していたビクトール達は戦闘体勢を崩さぬままそちらに視線をやる。武器も構えずに辛うじてドアの役割を果たしているそれを押し開くラーグ。それに慌てたようにクレオがその後を追った。

 その部屋には一人の人物がいた。闖入者にゆっくりと顔を向ける。


「レオン・シルバーバーグ殿ですね」

「ほう、テオ・マクドールの倅か。反乱軍の軍主がこんなところに何の用だ」

 話したことはなかった。ラーグがまだ幼かったころ遠目に顔を見たことがある程度だ。だが、かつて帝国の軍師だったその男の人となりは知っている。

「この町で、何を?」

「別に何ということもない。人間のいないこの町は居心地がいいのさ」


「そうですか・・・てっきり自ら起こした悲劇を感傷しているのかと」

 レオンは口を歪めて笑う。それにラーグは微笑んで返した。

「よく言う」

 カレッカの惨殺事件。その真実は民衆に語られたそれとは異なる。カレッカを襲ったのは都市同盟ではなく、守るべきはずの赤月帝国。秘密裏に行われたそれは、兵の奮起のみを目的とされた策である。

 企てたのは当時の正軍師、レオン・シルバーバーグ。

「だが感傷などではない。勝利の前の小事なのだ、この町の終焉は」

「なれば」

 ラーグは浮かべていた微笑を深くした。細められた目はいっそ怪しい。

「生涯をこの村で遂げられるのがよろしいでしょう。この町も随分と住み心地が良いらしい。世の流れ、歴史の流れに身を任せ、それが僅かしか感じられないこの場所で。死ぬまで過ごせばいいのです」


 それが、できるのなら?


 丁寧な口調とは裏腹に、挑発するような高慢な態度。小さく笑うと「失礼」と声を掛け入ってきたその戸から出ていく。その後に続くクレオにビクトール、タイ・ホー。最後に続くルックは外へ出る前に振り返った。

「どっちも意地っ張り」

 小さく、しかしはっきりと呟かれたそれに面白くなさそうに顔を歪めたレオン。それを気にもせず軍主一行の元へと足を進める。

 レオンもまたわかっているのだ。カレッカは、己の器には小さすぎる。

 今はもう少し、この荒んだ町での休息を。




 秘密工場は帝国の手から逃れたようで、その姿を残したままだった。鍛冶職人のモースも健在で十分な数の火炎槍があった。オデッサの残したそれは、解放軍に勝利をもたらした。

 その凄まじい威力にテオ率いる騎馬隊は成すすべも無く、先の衝突が嘘のような圧勝を遂げた。

 これ以上は兵を無駄死にさせるだけだ。それを悟った将軍は解放軍軍主へ一騎打ちを申し入れた。そこに親子の親愛などはなく、あるのは理想と忠誠をぶつける確固たる意思。

「皇帝陛下に弓引く逆賊よ。陛下に変わりこのテオ・マクドールが成敗する。この勝負、受けてもらいたい」

 当然のごとくマッシュは反対した。当然だ。解放軍の勝利は決定的なもの。帝国一と謳われる将軍と勝負をする危険を冒す必要はまったくなかった。軍主の命を失いかねないそれに応じることはできない。

「おやめ下さい。必要のない勝負です!」

「マッシュ」

 騎乗する視線を軍師を向ける。力強く、ゆるぎない決意がそこにあった。


「このままでは、進めない」


 マッシュは閉口した。かみ殺したようなため息が漏れ、恭しく一歩下がった。ラーグがそれに小さく感謝を述べると馬から静かに降りる。

「その勝負、受けましょう」

「・・・ありがたい。行くぞ!」


 その一言を皮切りに、二人の攻防が始まった。息つく間もない激し打ち合いは続く。棍と剣のぶつかる音。剣舞とはかけ離れた命をかける戦いは地を蹴り空を切る。

 互角と思われたその戦いは、しかし、棍が骨を砕く音とともに終わった。

 火炎槍との衝突で消耗していたテオはついに避ける事も止めることもできなかった棍の前に倒れた。剣が地に転がり膝をつく。血を吐けば、ラーグは棍を捨てて駆け寄った。自身の身体を支えきれなくなったテオは地へ伏した。

「っ父上・・・!」

「立派に、なったな・・・ラーグ・・・・・・・・・我が息子よ」

 まだ、そう呼んでくれるのか。耐える間もなく大粒の涙があふれた。ぽたり、ぽたりと零れるそれはテオの頬をぬらす。

「私は、私の信じるもののために生きた。悔いはない・・・・・・」

 熱くなる右手に驚き、慌てて甲を見れば淡く光る暗い紋章。


 やめろ。やめろ。やめろ。


 光るそれを左手で痛いほどに押さえつける。しかし輝きがとまるわけでもなく、闇が噴出し続ける。

「私は幸せだよ・・・我が子が、自分を越える瞬間を・・・見ることができた。最高の、幸せだ」

 テオは笑う。その満足そうな笑みは、本人の言うとおり悔いのない人生を証明していた。

「お前も、己が信じたもののため生きるがよい・・・・・・私はその選択を、我が息子を」

 ゆっくりと閉じられた瞼。ささやくような声しかもう聞こえない。


「永遠に祝福しよう」


 紋章が輝きを増した。

 喰うな。喰うな。喰うな。


「喰うな!ソウルイーター・・・!!」




 テオ・マクドールの魂は紋章が飲み込んだ。

 宿主の、糧とするために。

 

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