思い出す。

 あの日彼が自らを嗤ったことを。

 声なき悲鳴を聞いた気がした。

 死を望むまでの愛とは何なのか。

 宿る風は、彼を苛める。


 僕には、わからない。






吸血鬼





 ロリマーの城塞には誰もいなかった。あるのは大量の暴かれた墓。関所を攻略するつもりで兵を率いていたが、まず調査が必要だとひとまず本拠地に戻させた。ビクトール、クレオ、ルック、ロリマーの城塞から一番近い戦士の村の出身だというフリックを伴って向かう。

 村では女の子と、僕と同年代の男がなにやら揉めている。女の子はやたら気が強そうだ。男は押されつつもどうにか引き止めているような状況。そこに壮齢の男性が出てきて女の子の腕を掴む。

「テンガアール!何をしている、早く家に入りなさい!」

「離してよ!僕が直接ネクロードと話をつけてくるんだからっ」

「馬鹿なことを言うでない!」

 ひゅっ、と息を呑む音が聞こえた。ビクトールの纏う空気が一気に変わるのを感じる。そちらを見るよりも早くビクトールが大股に三人に近づいていく。

「おい、今ネクロードと言ったか!?」

「む、誰だお前達」

 今にも胸倉を掴みだしそうなビクトールを制して声を掛ける。

「解放軍の者です。事情をお聞きしてもよろしいですか?」

「解放軍……わかりました。どうぞ、わしの家でじっくりお話いたしましょう」

「……覚悟しておけ。長くなるぞ」

「なんだフリックではないか!試練は終わったのか?」

「終わっていない。今は、オレも解放軍だ」

 腰に吊るした剣を握り締め目を閉じる。


 剣の名は、オデッサ。


 フリックはオデッサと恋人だったと聞いている。オデッサが亡くなってから初めて会ったときのフリックは怒りと、悲しみにあふれていた。戦士の村には一人前になるための旅があり、フリックはその途中だったという。

 おそらく、生涯終わることの無い剣に命を捧げる人生になるのだろう。

「………」

「いつまで経っても青いままのようだがな」

「ほ、ほっとけ!」

 シリアスになり切れないのも、フリックの持ち味なのだろう。きっと。





「……であり、我等が祖先聖戦士クリフトが…」

 戦士の村の村長だと名乗ったゾラックは聖戦士クリフトがハルモニア神聖国からロリマー地方を守ったことに始まり、その後何代にも渡る村の活躍についてすでに数時間熱く語っている。

 ビクトールは寝ているし、クレオは外を眺めているし、慣れているはずのフリックは久々のせいかゲッソリしている。ルックなど早々に外へと出て行ってしまった。忍耐には多少自負があるが、これはなかなかの苦行である。もう一時間もすると寝ていたビクトールも目覚め、一区切りついた話が次へと進まないうちに慌てて逃げ出した。ゾラックもそれを笑って見送りその場はお開きとなった。

 客室を貸してくれるというゾラックに甘え、一夜の宿を借りることになった。宛がわれた部屋の窓から見上げる空は雲もなく星が綺麗に見える。煌々と輝く星を見ていたら変に目が冴えてしまい、水を一杯を頂こうと部屋を出る。だが、途中で聞こえてきた話し声に思わず足を止めた。

「クレオさんは……女の人なのにどうして戦うんですか?」

 問いかけたのは昼間に見かけたヒックスだ。

「女とか男とか、そういうのは関係ないんだ。たとえ武力を持たない者でも、守りたいものはあるだろう?守りたい人がいる。譲れないものがある。だから、私は戦うのさ」

「そう、ですか…」

「あんたにはないのかい?命を懸けても守りたいものが。譲れない人が」

「ぼくは……」

 俯いて、それきり言葉は途絶える。それでも答えられないのは思うところがあるからだろう。テンガアールという女の子、吸血鬼が望んでいるのは彼女だ。

「………」

 決めるのは彼自身だ。

 僕は足音を消して部屋へと戻った。





 ざわり。紋章が僅かに疼いて飛び起きた。どうしたというのか、それ以上の反応はなかったが不安を煽るには十分な材料だった。そのまま寝なおす気にもなれず、少々早いがそのまま寝台から立ち上がる。身支度を整え部屋を出たところで叫び声が聞こえた。急いで外へでると、黒いマントを纏う大柄な男。その目がぎょろりと動いた。

 吸血鬼。

 後からバタバタと駆けて来る音が聞こえ、僕が開けたままにしていた扉からビクトール、フリック、クレオが出てきた。

「ネクロード…!」

 湧き上がる怒りを抑える気もない、唸るような声だった。ビクトールはこの吸血鬼と因縁があるようで漸く見つけた仇敵に歓喜と憎しみを織り交ぜた笑みを湛えている。

「さぁ、花嫁はどこです?」

「ふざけたことを…!テンガアールは渡さんぞ!!」

 ゾラックや村人は剣を構えネクロードに刃を向けるが、ネクロードは気にした様子もなく薄く笑って手をかざした。

「仕方ありませんね。実に残念です」

「待て…!」

 止める間もなくネクロードは自らの力を行使した。闇が瞬いたかと思うと、次の瞬間村人達は倒れていた。

 無言で駆けてビクトールは吸血鬼へと斬りかかる。その背後からフリックが雷鳴の紋章を輝かせた。

「チィッ」

 しかしネクロードはその攻撃を避けもしなかった。微動だにせず受け入れたにも関わらず、その身体に傷はない。ビクトールは忌々しげに舌打ちをして一度距離を取った。

 ビクトールの剣。フリックの魔法。どちらもまるで効いていない。

「あいつには普通の攻撃じゃ届かないよ」

「ルック」

 いつの間に現れたのかロッドを構えもせず手にするルック。忌々しそうな目はネクロードに見据えられている。

「あれは真の紋章に守られている。今のままじゃ手が出せない」

「倒せないのか?」

 視線をネクロードに戻す。吸血鬼は絶対の自信を持っているのだろう。見ていればルックの言っている通り一切の打撃が効いていない。ビクトールならばそうそう短慮を起こすようなことはないだろう。しかし、長年捜し求めた仇敵に理性がどこまで持つのか。

 このままでは村人も危ない。手をこまねいている場合ではないのに。

「……しょうがない。あんた、死なない程度にネクロードの気を引いててよ」

 僕の返事を聞く前にルックは一歩下がる。ロッドを傍らに放り投げ左手を右手の甲に重ねた。

 何か考えがあるのだろう。僕は棍を握りなおしネクロードへと向かう。しかし、物理攻撃が意味を成さない相手にどれだけ対応できるのだろうか。

「おや、それは……」

「…っ」

 得物を向けた僕にネクロードはこちらを見る。だが、それと同時に熱くなる右手。ネクロードが、何かしているのか。

「真の紋章……宿るのは闇。ソウルイーターですか」

「!!」

「宿して間もないのがバレバレですよ。ウィンディ様への手土産に頂いていきましょう」

 愉快だと言わんばかりの笑顔でこちらへゆっくりと歩いてくる。棍を握る手に力が入った。

「ラーグ様!!」

 クレオがナイフを投げる。しかし、ネクロードに当たることはなくその手から湧き出た黒い風に吹っ飛ばされる。名を叫ぶが返事がない。しかし、気を失っているだけで大丈夫そうだ。

 ビクトールとフリックがその瞬間できた隙に斬りかかるが、クレオと同じように吹き飛ばされてしまう。

「くっ……!」

 物理攻撃が一切通用しない。なら、これはどうなのだろうか。この、右手に宿る、闇は。

「……」

「っ馬鹿!なにやってるのさ!!」

 突然の叱責。ソウルイーターに込めようとしていた魔力は緑の風により霧散した。

「ルック…」

「ちょっと、何してるわけ?どれだけ年月を重ねようが真の紋章と宿主は台頭じゃないんだ。それを宿して間もないあんたが無理すればどうなるかくらいわかるだろう」

 視線はネクロードに定めたまま後方からルックは歩いてくる。その手に、先ほど放った杖はない。

「常に気を張れって言うわけじゃないけど、ラーグ。あんたは立場を忘れちゃいけない」

「おや、先ほどはしなかった真なる紋章の気配がもう一つ……封印を解いたのですか」

「まぁ、ね!」

 それと同時にルックを取り巻く風が目に見える形で顕現する。渦巻くそれは普段の比ではないほどの魔力が込められている。真の紋章が紡ぎ出す強大な切り裂きだ。通常の攻撃を受け付けないネクロードに、その風は傷を負わせた。

 ぽたりと垂れる血を拭いながら、吸血鬼はなお楽しそうだった。

「真なる風…!なるほど、あなたが!ああ、これは愉快だ、可笑しくて笑いが止まりませんよ」

「なに、を」

「十数年前でしたか。かの大国の生き神が、面白いことをしていたのは」

「!!」

 ルックから凄まじい風があふれ出すし、僕も立ってはいられず地に膝をつき耐える。先ほどよりも強大な風の渦を瞬時に作り上げるとネクロードへ向ける。しかし無常にもそれを消し去って、吸血鬼は続ける。

「風を核に」

「うるさいっ!!」

 だが、ネクロードの台詞はゆっくりと霞の中へ消えていく。急速に薄れ行く意識。

 膨大で、優しく、強制力を持った風が身体をすり抜けていく。




 最後にうっすらと見えたのは、彼の泣きそうな顔だった。

 

 

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