帝国は腐敗している。

 皇帝はウィンディを止める気がない。

 それを許容しているのだろう。

 民は飢え、各地の軍人はその民から税を搾り取る。

 帝国は、もう終わる。

 もはや再建は見込めないだろう。

 一度崩してしまわないといけない。

 新しい国を、造らねばならない。

 


神様とのつきあい方

 


 父とともに皇帝の御前を賜った。皇帝を目にするのは久しぶりだ。ウィンディに惑わされたとの噂が流れてからは、少なくとも。

 しかし皇帝の目を見た瞬間僕は悟った。



 皇帝は、死んでいない。



 だけれど、だからこそ無理なのだ。ウィンディの魔術にかかっているのならば、まだ手もあっただろう。だが、覚まさせる目がそもそもないのだ。

 帝国はどんどん腐っていく。もう止められない。

 その思いを抱いたまま、かの有名な星見のレックナート様がいらっしゃる魔術師の島まで赴いた。国の明暗を正しく照らす星見の結果を、近衛になりたての人間に任せていいのかとも思ったが、行って理解した。

 レックナート様の弟子ルック。彼は、その……とても、綺麗な顔だった。その外見を裏切る行動に驚きもした。

 毎年のことらしいが、他の人たちは大丈夫だったのだろうか。



 それと、テッド。



 ルックと何かあるような雰囲気を感じさせられた。階段をひたすらに登りながら尋ねたが、うまくはぐらかされて結局答えてはくれなかった。



 それから、それから。

 テッドが300歳で、真の紋章の持ち主で、ウィンディに追われていて。

 僕らを逃がすために、捕まって。

 帝国を裏切り、父を裏切り。




 僕は解放軍の軍主になった。

 


 僕はルックのもとを訪れていた。真の紋章について聞くためだ。彼がいつも本を片手に陣取っている石板の間へ赴く。彼の視線は本へむけられたままだったが、僕が声をかけるより早く口唇が開く。

「何か用?」

 幾分戸惑ったが、それでも部屋への一歩を踏み出した。

 右手に宿る生と死を司る紋章、ソウルイーター。これを託したのはテッドで、そのこと自体に何の文句もない。紋章を守り切るつもりだ。しかし、僕はこれを持て余している。

 最近、何をしたでもないのに突然立ちくらみにあう。魔力が知らぬ間に空になっているのだ。もともと魔力が高いわけでもない。ソウルイーターが魔力を食らえばすぐに底を突く。だからと言って、皆の前で倒れるわけにはいかない。

 たまにだが、外にいると右手がチリと痛むことがある。何かと思ってみると、紋章がほのかに暗く光っている。そして、周りの草木が枯れているのだ。


 紋章は魂に飢えている。


 正直、彼に尋ねるのは避けたかった。魔法部隊の隊長を任命する時にもいやに気を使った記憶がある。承諾を得たときはほっとしたものだ。初めて彼に会ったとき、その容姿から女の子だと思った。信じて疑わなかった。実は好みど真ん中だった。そんな経緯から快く思われないのも理解できる。あの目が詰らなそうに僕を見ているのを知っている。しかし、そういうのではない。何と言うか、そう。得意ではないのだ。心中で警報が鳴る。関わってはいけないと。

 だがそうも言っていられなくなった。この軍で唯一答えをくれるであろう彼を訪ねずにはいられない。紋章が宿る右手を見せる。

「これについて、少し。時間を貰ってもいいかい?」

「……ま、意外と遅かったと思っていたところだしね。いいよ」

 開いていた分厚い本に栞をはさんで閉じ、傍らに置く。そこでようやっと体をこちらに向けた。

「遅いと思っていたって……」

「真の紋章を継承したんだ。例え初めから魔力が高くたって簡単に扱えるものじゃない。話を聞きに来ると思っていたんだよ」

「では早速聞かせてもらうけれど、紋章を制御するにはどうしたらいい?」

「無理だね。少なくとも今のあんたじゃ絶対無理。ありえないくらい無理」

「それは困る」

 3回も無理と言われた。しかしだからといって放置することなどできようはずがない。

 どうにかしてくれとの発言だったが、ルックは目を数回瞬かせて笑った。

「困るって、あんた馬鹿じゃないの。もうちょっと何かないの」

「むしろ言いたい。何かないのかい」

「何か、ねぇ……しょうがない。ちょっと待ってなよ」

 口に笑みを浮かべ、目を楽しそうに細めたまま彼は石板と僕を置き去りにして出て行った。

「…顔は好みなんだけどなぁ」

 理想の顔が可愛らしく笑顔を向ける。目にして悪い気などするはずがないが、しかし。

「性格に難あり、か」

 あと性別。実にもったいない。


 

 

 ルックは30分ほどたっても戻ってこなかった。どこに何をしに行ったのかはわからないが、忘れられたのかと、部屋に戻るか思案し始めたころに彼は素知らぬ顔で入ってきた。

「……遅かったね」

「なかなか見つからなくてね。はいこれ」

 そう手渡されたのは碧の石がついたピアス。吸い込まれるような美しいものだが、今まで見たことのあるどの宝石とも違うように見えた。

「これは、何の石?」

「それは石じゃない。魔力を凝縮して固形化したものさ。それは常に魔力を発するものだから、身につけておけば最悪ぶっ倒れることはないよ」

 その症状を彼に言ったわけではないのだけれど、お見通しのようだ。

 頂戴したそれを通す穴が僕にはない。部屋に帰ったら早速ピアスホールを開けることにしよう。

 ピアスを手のひらで転がしていると、ルックが問いかける。

「……27の真の紋章を、何と呼ぶか知っているかい」

 魔力は高くないが、紋章学についても一通り学んでいる。昔の記憶を引っ張り出す。何と呼ぶのだったか。そう、確か。

「神?」

「ご名答。あんたの右手に在るのは神だ。御せるなんて考えない方がいい。上手く共存する道を探すか、さっさと誰かに継承するか。ま、僕は後者をお勧めするけど」

「残念だが、君の期待には添えなさそうだ」

 ふーん、なんて言いながら、ルックは椅子へ腰を下ろし本を広げる。挟んだ栞はそのままだ。

 話は終わったとあからさまな態度で示され、僕は苦笑して退室を告げる。



「ありがとう、ルック」






「……別に」


 小さく聞こえてきたそれには、どこか照れが含まれていて。

 その年相応の姿がなんだか可笑しくて、気付かれないように僕は笑った。



2 約束の石版  戻る  4 統率者に必要なもの