魔法兵団を「恐怖」という枷でまとめようとした。
事実それは上手く行っていたのだけれど。
違うのだ。
真に人はついてこない。
理解はできるし、このやり方が「正解」だとは思わない。
でも。
できるできないは、別の話。
相互理解
朝目が覚める。意識がはっきりすると、そこから僕の面倒な一日が始まるのだ。
身支度を整えると、まずマッシュのところに書類を取りに行く。昨日のうちに準備してあったそれは、心なしか日に日に量が多くなっている気がする。ぺらりとめくれば、どれもないがしろにできない重要書類。兵団長室に入ってペンとインクを用意する。全てを定位置に置いて、一枚を手に取る。山と積み上げられた書類は手を止めずに仕上げたとしても、太陽は真上を通り越す。
できたものをマッシュの元へ持っていき、その帰りに食堂へ寄る。昼時は少々過ぎており、食堂は閑散としていた。食べることも面倒に思えておざなりにスープだけ口にした。
次に向かうのは魔法兵の訓練場。彼らの既存の魔力ではとてもじゃないが使い物にならない。お粗末なそれを戦争で使える程度には向上させなければならず、歩兵や弓兵などとはまったく異なった瞑想という訓練をひたすら続けている。その成果もやっと出始めたようで魔力の上昇は個々人でも感じているようだ。そろそろ次の段階に行ってもいい頃だろう。
訓練場に入ると、皆僕を見て緊張する。その程度で解ける瞑想ではいけないが、そうでなければ恐怖心という統率力がなくなったことになってしまう。難しいものだ。
「イーグル」
「はい」
副団長のイーグルを呼ぶと、兵達はどうにか平常と取り戻そうと深呼吸したり伸びをしてまた瞑想に入ろうとしている。だが、この調子では僕がいると訓練は進みそうも無い。
「明日から瞑想のほかに別のこともしてもらう。帰らせる前に伝えておいて」
「わかりました」
「じゃあ僕は戻るから、何かあったら兵団長室に知らせをよこして」
「はい。・・・・・・ルック様、顔色が優れませんね」
「そう?気のせいじゃないの」
「睡眠や食事はきちんとなさっていますか?忙しくても最低限の休息は取ってくださいね」
「・・・・・・わかったよ」
適当に返事する僕に疑いの目を向けられるが、その視線が居心地悪くてその場を後にする。
兵団長室へ戻る前に石版を見ておこうと足を向けた。特に異常は無く宿星の名もぽつぽつ埋まってきているようだ。
「ルック」
呼びかけに振り向けばテンプルトンが大量の紙類を抱えて寄ってくる。まさかとは思うが、これ全部追加の書類じゃないだろうな。
「はい、マッシュからのプレゼント」
「すごく嬉しくない」
「だろうとも」
押し付けられた追加分はまさかの通り、彼が抱えたもの全てだった。正直勘弁して欲しい。僕に渡すと慌しげに去っていく。その背にため息を吐きつつもペラと1枚取ってみる。
『ルックへ』
「・・・・・・・・・」
見た瞬間、左手に宿した火の紋章を発動させなかった自分をほめてやりたい。大分シワにはなったが。
書類で幾度か見たことのある、読みやすい軍主の筆跡。なんだこれは。僕はひょっとして懐かれたのだろうか?大人ばかりのこの軍で年の近いものは確かに少ない。それでも彼とは四つ離れているし、僕に苦手意識を抱いていたように見えた。最近はまぁ、そうでもなかったが。
くしゃくしゃになったそれを伸ばして、読み始める。
『手を抜くな。改善しろ。拒絶するな。歩み寄れ。』
最後に「がんばってね」なんて書いてあるのが腹立たしい。僕だって頑張っているんだ、なんて馬鹿らしいことを言うつもりはもう毛頭ないが、はっきりと正しいことを言われたのが腹立たしい。
もっと言うと、こいつに言われたのが腹立たしい。
思いっきりため息を吐き出して、とりあえず仕事をするために執務室へ足を向けた。
翌日、午後。僕は訓練場にいた。兵は相変わらず僕におびえている。そう仕向けたのは自分だけれど、これをどうにかするのは面倒そうだ。
今日から始める訓練には木々が必要だ。解放軍では十分でない。あらかじめビッキーに協力を要請してあるので、彼女の力で魔法兵を移動させる。
「ビッキー、大森林はわかる?」
「うん!エルフさんたちのお家だよね?今は・・・えと」
「焦魔鏡に焼かれてないけど、ね。あのあたりに飛ばして欲しいんだけど、大丈夫かな」
「大丈夫だよ!まかせて〜」
その言葉に一抹の不安を抱かせないでもなかったが、そこは僕が補正してやれば大丈夫、だと信じたい。
ロッドを掲げる姿はなんとも頼りない。
「いっくよー、えぃっ」
そんな掛け声とともに、数百の人間は一瞬でその場から消え去った。
「よかった・・・無事着いたみたいだね」
一人だけいない、なんてことないだろうなとちょっと疑ったけど、むしろそんな器用な真似できないと思考を追いやる。失敗する時はおそらくこの一団まるごと道連れだろう。
風に聞いてここら一帯に人の気配が無いことを確認し、簡単に結界を張る。
「ここは大森林近くの森なんだけど、訓練は今張った結界内で行う」
「何をするのですか?」
不安げな顔で尋ねる兵を尻目に、傍らにそびえる大木に右手を当て、魔力を吸い取る。左手を緩く開き奪った魔力を凝縮させていく。その大木を拠点とし、結界内は色を奪われたかのように枯れていく。紋章が見せる灰色の世界でないことは、左手に集まる魔力の色が教えてくれた。
結界内がすっかり枯れ果てる頃には、吸い取った魔力はいつしかラーグに渡したような固形物になった。
「これから、この枯れた植物に魔力を注ぎ元のように戻してもらう。どの植物でもいいけれど、結界内でね。結界は植物が枯れていない栄え目がはっきりしてるからそれで見分けて」
そこまで言って、懐から笛を取り出す。
「この笛が鳴ったら戻ってくるように。じゃ、始めて」
ざわめいて散り散りになっていく兵団員達。僕は訓練場から出入りのできるように空間をつなげて置こう。
「見てみて!ルックくん!」
なにやら楽しそうな声で呼ばれた。振り返ってみると、ビッキーが指を刺して笑っている。
「やってみたらできたよー。でも、とっても変わったお花だねぇ」
「・・・・・・そうだね」
あえて主張するが、そんな花この森には存在しない。そんな、小さなラフレシアみたいな、花粉を撒き散らす花は。
「ふぅ・・・」
空間をつなぐのには色々な条件があって、時間も魔力も消費する。これでいつでも訓練にこれるだろう。この森ではどうにかつなげる事ができたが、昨夜殆ど眠れなかった僕の体力は結構ギリギリらしい。少しよろけた、と思ったら後から支えられた。振り向くとイーグルの姿。
「大丈夫ですか?」
「問題ないよ」
「体調面に関して、ルック様の問題ないは信用に欠けますからね」
「言ってくれるよ」
手を離した後も顔色を確認されているような気がする。なんだか落ち着かなくて話題を変える。
「で、どうかしたの?」
「ああ、この訓練なのですが、どうにもうまくいかなくてですね。コツなどあったら教えていただきたいと思いまして」
そこで、初めて辺りを見渡した。
あたり一面の枯れ色。緑を確認できるのはビッキーの奇怪なラフレシアのみ。
「ちょっと・・・まるでできてないわけ?」
ポツリと独り言をこぼす。面目ないです、なんて言っている副団長もできていないというのはどういうことか。
僕は笛を取り出して思い切り息を吹き込んだ。
しばらくすれば散り散りになっていた全員が集まった。様子を見ると誰もできなかったようだ。
「・・・・・・一応聞くけど、できた人は?」
沈黙。やはり名乗り出るものはいない。
「お言葉ですが、私には根本的にやり方がわかりません・・・」
恐る恐るといったふうに一人の兵が答える。それに続くように同意の声が聞こえてきた。
どうしてだろう。戦時に魔法兵が一人に魔力を注ぐように、この植物達にも魔力を与えてやればいい。大した差などない。どうして?なんで?変わらない。何が分らないのかわからない。同じじゃないか。
ああ、面倒くさい。
『手を抜くな』
だってわからないんだ。
『改善しろ』
僕の基準がおかしいのだろうか。
『拒絶するな』
・・・・・・同じじゃ、ないのかな。
『歩み寄れ』
彼らも、不安なのかな。
黙る僕に兵達の焦りが見れる。別に怒っているわけじゃない。なんだかスーッと体中に風が吹き抜けた気分だ。
「魔力を注ぐには、その器、この場合植物の魔力の糸を見つけなければならない」
近くにあった枯れ木の魔力の糸を指差して尋ねる。
「これ、見える?」
ぽつり、ぽつりと見える、だの見えないだのと返事がある。
そうか、これも見えないんだ。生まれた瞬間から紋章に関わり、レックナート様の元で修行していた自分と一般兵を同じに見てやるのはさすがに酷だったのだろう。でも僕はどれが普通で特別なのかわからない。だから彼らも僕がわからない。なら聞けばよかったんだ。たった、それだけのことだったんだ。
僕はそのまま、魔力を吹き込んだ。流れ込んだ魔力を貪るように、口滝は若葉を茂らせ、それが夏の頃の葉へと変化していく。枯れ枝は新しい芽吹きに押し出される。ざわざわと音を立てながら、木はあっという間に成長した。
「枯れた植物は、確かに魔力の糸が見づらいかもしれない。これなら、見える?」
これで見えなかったらどうしよう。
だけど僕の心配をよそに、少し興奮したように「見える」という声が飛んでくる。
「枯れて見づらくても、どの植物にも魔力の糸はある。心を落ち着けてよく見てみて。後は、戦時に魔力を送る時と同じ」
やってみて、と指示を出す。みんなが少しずつ動き出すと、緊張の糸が切れたかのようにぺたりと座り込んでしまった。
「ルック様!」
イーグルが慌てて駆け寄ってくる。その声に何事かと兵達の注目を集めてしまった。
「大丈夫、大丈夫だから・・・」
「なにが大丈夫なものですか。あなたが無理をして仕事をこなしていることを誰もが知っていますよ。さぁ、城に帰ってゆっくりなさってください」
「いいよ、ここでちょっと座ってるから。そしたら、少し休んだら大丈夫だよ・・・」
「どうか、どうかルック様!」
ほら、そんなに深刻な顔するから兵達がびっくりしてるじゃないか。ここで弱ってる姿なんて見せたら示しがつかないだろう。
そう思うのに、僕の意識はゆっくりと遠のいていった。
「ルック?」
「ん・・・ラーグ・・・?」
目が覚めると、僕は寝台に横たわっているらしかった。頭がすっきりしている。
「あー、僕寝ちゃったんだっけ」
「寝たっていうか、あれは気を失ったというべきだろうね。イーグルが慌てて医務室に連れてきたんだよ」
「・・・そう」
上半身を起こして、枕を背に座る。ふと視線を感じて見ればラーグと目があう。盛大にため息を疲れた。
「なにさ」
「・・・・・・・・・・・・心配した」
まったく予想外もいいとこの回答。うつむいて小さく零した彼の頭を、思わず僕は撫でた。
僕が倒れたのは、睡眠不足と軽い栄養失調、疲労によるもので一日寝たらすっきりしていた。食事と睡眠はちゃんと取れと色んな人に口をすっぱくして言われたのはちょっと癪だ。仕事が忙しかっただけだし、もともと小食なだけだ。と言い張りたい。
書類仕事を片付けて、午後から訓練を見に行く。
なんだか、様子がおかしい。変だ。絶対変だ。いつもと違う。
「ルック様、いらしてたんですね。体調はよろしいのですか?」
「もうなんでもないよ。迷惑かけたね」
「いいえ、とんでもありません。でも心配なのでちゃんと食事と睡眠はなさってくださいね?」
「・・・もう耳にたこができるくらい聞いたよ」
「なら結構です」
いつもはよくできた部下なのに、たまに大人面される。というか子ども扱いというのだろうか。いや、実際あっちは大人でこっちは子供な訳だけど。
「ところでイーグル。今日の兵はなんなのさ。変。すごく変。いつもと違いすぎる。主に僕に向ける視線の熱さ」
「・・・・・・・」
「ニコニコしながら目をそらすな」
「・・・皆、ルック様の倒れた瞬間を見ているのです。子供のあなたに自分達はどれほどの負担を強いていたのかと・・・」
「・・・だけ?」
「・・・・・・その子供のあなたに備わる強さと逞しさと知性と美貌に、彼らは魅了されてしまったのですね。心酔ですね」
「色々つっこみたいけどあんまり子供子供言わないでよ」
「すみません」
おかしなことになってしまったけど、僕は、彼らを少しだけ理解できた。彼らも、僕を少しでも理解してくれたのだろう。
なんだか嬉しくなって、僕は小さく笑みを零した。