グレミオが死んだ。

 僕の盾となって欠片も残さず消え去った。

 黒に染まる視界に魂が浮かぶ。

 吸い込むのは右手に宿る神。

 僕が殺したようなものだ。

 殺したんだ。




宿る星がもたらすもの




「あなたは最近働きすぎです。録に寝てもいらっしゃらないでしょう。少しはお休みになってください」

「そうも言っていられないだろう。解放軍は人手不足なうえに今は特に忙しい」

 双方手を動かしながら会話をするのは解放軍の軍主と軍師だ。

 マッシュが訴えるとおりラーグは働きづめであった。寝る間も惜しんで片付けなければいけない問題は山積みであるのは確かだ。だがしかし、いい加減に休息を取らねば身体のほうが持たない。すでに、心には歪みが生じているというのに。

「代わりの者を呼びます」

「僕がやったほうが早い。それに軍主でなければならないものが殆どだ」

 言いながらバサバサと書類をまとめる。先ほど言いつけた用事が終ったらしいテンプルトンにそれを差し出した。

「これをそれぞれ、書いてある者に渡してきてくれ」

 軍師付きの少年は「戻ってきたばかりなのに」と愚痴を零しつつも書類の束を受け取り出て行った。

「とにかく」

「とにかく、忙しいのは仕方ない。適当に休むから心配するな」

 台詞をさえぎり、マッシュが口を挟むまもなくラーグは執務室を後にした。






「はい」

「何これ」

 魔法兵団執務室で無心にペンを走らせていたルック。そこに分厚い紙の束を抱えたテンプルトンが訪れていた。渡された書類を見てルックは顔をしかめる。

「知らないよ、軍主のお使いしてるだけだし。あんなピリピリした部屋長いこといたくないしね」

「あっそう」

 面倒な顔をしつつもルックはパラパラと渡された書類に目を通す。それを見ていたテンプルトンは何気なしに尋ねる。

「また大きい衝突でもあるの?」

「何でさ」

「魔法兵団の書類が一番多かったからね。大変な時ほど魔法兵団はこき使われる」

「よく見てるもんだね。まぁ、あの忍びの話を聞くとそろそろテオ・マクドールが出てくるだろうからね」

 テンプルトンは目を見開く。上げそうになった声をどうにか飲み込んだ。

 軍主の実父であるテオは皇帝の信頼を一番に受ける将軍である。こんな日が来ることは以前から分っていたことだ。帝国に仇なす反乱軍に加担し、あまつ率いることになったその時から。

「ルック、今の軍主放っておいていいの」

「・・・僕がどうこうすることじゃないだろ」

「ルックにしかどうこうできないと思うけどね」

 平穏に地図を描く生活のため、軍主のことをよろしく。そう言い去っていく自分より幾分小さな背中を見送って、ルックは盛大なため息と悪態をついた。




「・・・・・・・・・。僕にしかってなんだ?」






 深夜、月明かりが差し込む自室でラーグは寝台に腰掛ていた。真剣な顔の眉間にはしっかりとしわが刻まれている。

 無理も無い。尊敬できる将軍であり、敬愛する父親と争わんとしているのだ。ため息すら飲み込む心痛に睡魔など訪れない。幸い片付けなければいけない仕事は山ほどあったが、いい加減に身体を休めないとマッシュの小言も終わらないだろう。

 カタン。小さな音と突如現れた気配に顔を上げる。転移魔法で現れたルックだ。ルックが断りもなしに入ったのだが、その顔に浮かぶのは無表情で、どこか詰まらなさそうにも見える。

「や」

 その簡潔すぎる挨拶に苦笑が漏れる。ラーグが用件を尋ねる前にルックはつっけんどんに言葉を放つ。

「うるさい」

「・・・・・・何も言っていない」

「うるさいんだよ。魂喰らいが」

 はっと息を呑むラーグ。咄嗟に左手で紋章を隠すように握りしめる。

 苛立たしそうに髪を書き上げたルックはソウルイーターの紋章に視線を向けた。左手で覆ってあるし、右手自体にはきつく包帯が巻かれている。それでも見透かされている気がしてラーグは目を合わせることができなかった。

「今それはあいつを喰らって落ち着いている。極上の餌だったんだろうね。なのに、それでも暴れるのはあんたがいつまでも情けないから」

「どういう・・・ことだ・・・」

「紋章を継いだばかりにしても、全く認められてないってこと」

 事紋章に関して、あんたは何も進歩してない。そう言うルックにラーグは何も言い返せなかった。確かに、ソウルイーターはグレミオの魂を喰らってさぞ満足したことだろう。使える術が増えたのがいい証拠だ。

 しかし、夜になると紋章は暴れるのだ。草木の魂を喰らうでもなく、宿主の魔力を喰らうのでもなく。戦場に充ちる魂全てを喰らおうとする。

「あんたは溜め込みすぎなんだよ・・・。決壊する前に吐き出せばいいんだ。邪魔なら、出て行くし」

 うつむいたまま何も言わないラーグ。それを肯定と取り部屋を後にしようと風を呼ぶ。

 だが、それを拒んだのはラーグだった。細い腕をしっかり捕らえ、放す気配はない。

 そしてポツリと話し出す。

「・・・眠るのが怖い。あの時の光景を夢に見るんだ。夢の中でさえ、グレミオを何度も死なせてしまう。助けられない。繰り返し、繰り返し、グレミオが死ぬ様を夢に見る。その夢に釣られるように紋章が暴れて目を覚ます。結局それを抑えていたら夜が明ける」

「それで?」

「それでも僕は軍主だから皆の前では泣いたり弱ったり、そんな姿見せられない。隠して、抑えているうちに、本当に泣けなくなった」



「でもあんた、泣いてるじゃないか」


 自身でも涙が流れていることは分っていた。

 なぜ泣けなかったのか。それは導く者の責務。なぜ背負ってしまったのだろう。それは天魁の星が彼を選んだから。

 しかし天間の星に選ばれたルックのにラーグは居場所を見つけた。その心地よさに、永久に彼の隣を望んだ。


 ああ、そうか。


 今も内から忙しなく鳴り響く警報。際限なく大きくなる警鐘はルックに関わるなと訴えていた。

 彼に触れれば、彼を知れば、それほどに。

 なくてはならない存在になってしまう。

 彼がいなければ生きていけないほどに。

 知らず、知らず、心の奥に。魂の底までに。

 彼は消せない存在になる。


 あまりにも危うい均衡を恐れ、拒んだ。


「ありがとう、ルック。ありがとう・・・」

 だが、もう手遅れだ。

 知ってしまった安息に手を伸ばさずにはいられない。掻き抱いて、腕の中に閉じ込めて。その温もりを独り占めしたくなる。

「別に。あんたのためじゃないさ」

「うん、でも・・・ありがとう」

「はいはい」

「ありがとう・・・」

「ちょっと、もう分ったから」



「ありがとう」



(ルック。君が好きだよ。手遅れだと気付いて尚後悔などしないほど。それでもいいと喜ぶ自分がいる。振り切れた警報はもう鳴らない。だけれど今はただ、百万回のありがとうを。魂からあふれ出るこの感謝を伝えたい)



「ありがとう」



 

「お休みになられたようですね」

 翌日。会議室に向かうラーグに話しかけるのはマッシュだ。軍師は軍主を見てそう言ったが、魔法兵団長を見て顔をしかめた。

「今日は貴方がお疲れのようで」

「・・・・・・まぁね」

 忌々しそうな顔をしてルックはラーグを見上げる。

 昨夜、ラーグハルックに縋りついたまま眠ってしまい早朝ラーグが起きるまで突っ立っている羽目になったルック。ほぼ微動だにせず壁となっていれば相当な負担だ。それが、体力のない少年であれば尚のこと。

 目にしたかのようにその様が思い描けてしまったマッシュは微笑ましくなったが、目の前の魔法兵団長の機嫌をすこぶる損ねる事が想像に難くなかったので口元を引き締めた。

「それは、お疲れ様で」

「全くだよ」

 盛大にため息を吐き出すルックに、苦笑しながらラーグは余計なことを言った。

「起こしてくれればよかったのに」

 その何気ない一言にルックの目が見開かれた。唇も同時に開かれていた。

「その口がそれを言う!?声をかけても揺すっても起きない。置き去りにしようにも指は法衣を掴んで握られたまま!!何度切り裂いてやろうと思ったか!」

「は、ははは・・・」

 でも、そこにいてくれたんだね。その言葉をラーグは飲み込む。悪いのは自分である。これ以上ルックの下降しきった機嫌を悪化させることはない。

 もし言ったとしても、その答えが「切り裂き」であることは簡単に予想できたのだから。





 それにしても。ラーグはため息をついた。

 会議後、石版の様子を見に行こうとするルックに無理矢理同行している時だった。

「・・・何?あんたの幸せがどれだけ減ろうがどうでもいいけど、鬱陶しいから僕の前ではやめてよね」

 小さなため息一つにこれである。

 自分のことを棚にあげるルックは置いておき、ラーグはため息の理由を打ち明ける。

「紋章に全く認められていないと言っていただろう。このままでは共存も何もないなと思うと、ちょっとね」

「ああ、あれ。嘘だけど」

「・・・へ?」

 そのまま適当な相槌を打って流すところだった。気に留める様子もなくあっけらかんと嘘だというルック。ラーグの間抜けな声の後に続ける。

「多少は紋章に認められているよ」

「だが夜ソウルイーターは暴れて・・・」

「それはあんたを守るためさ。心なる紋章は宿主を愛す。あんたが夢を見てうなされているから止めたかったんじゃないの?」

 しかし、ラーグはその紋章のおせっかいのせいで色々と辛い思いをした。

 そんなことを考えていると、察したルックが答えをくれた。

「真なる紋章の宿主は病気にもならない不老だからね。疲労は溜まるけど。そもそも紋章がお気に召すのは魂や精神。そっちを守るための、紋章なりの気遣いでしょ。ありがた迷惑だけどね」


「・・・・・・・・・ルックも、風に愛されている?」

 自分の狭量に飽きれつつも、風に嫉妬して聞いてみる。ラーグは拗ねたような軽い気持ちで問いかけただけだった。知らない。さぁね。そんないつも通りの答えを予想していた。

 しかし、返ってきたのは自嘲めいた笑いと。



「死にたいくらい愛されてるよ」



 悲しいまでの心の悲鳴。



 ラーグは何も言うことができなかった。

 

 

 

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